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2016.05.12

【我が子は広汎性発達障害】グレーゾーンのときが一番つらかった! ママの苦悩と願いとは?


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今回お話をうかがったのは、フルタイムで専門職の仕事をこなしているSさん〔お子さん8歳、6歳〕。上のお子さん(男の子)が、年長の時に広汎性発達障害と診断されました。

障害がわかった経緯やこれまでの苦悩、そして今、それを受け止め生活を送るなかで感じることや将来への願い・・・。言葉を選びながらも赤裸々に語ってくれたインタビューをお送りします。

*広汎性発達障害とは

広汎性発達障害とは、社会的な行動を上手く取れない発達障害の総称。小児自閉症やアスペルガー症候群(知能は正常(むしろ高い場合もある)だが、コミュニケーション困難や興味の偏りなどで日常生活に支障を来たす症状)も広汎性発達障害に含まれます。広汎性発達障害と診断される子どもには、一般的に次の3つの特徴が見られます。

・コミュニケーションの困難

・対人関係の困難

・強いこだわり、知覚過敏など

ただし、特徴の現れ方の強弱は子どもによって異なります。(参考:ヘルスケア大学HP)

訪問看護師さんに「発達支援センター」をすすめられた

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――お子さんの障害がわかったのはいつですか?
わかったというか、私の妊娠が安定せず、5か月から8か月まで入院。その後、産まれたら子どもの肺が悪くNICUに長く入院していたんです。3歳まで酸素を付けて生活をしていました。寝返りなども遅かったですが、発達が遅いのは身体だけ、まだそのころは知的には絶対追いつけるに違いないと思っていました

――そうなんですね。では、知的部分を指摘されたのはいつ頃だったのでしょう。
1歳になる前に訪問看護師さんに「この子は発達支援センターに行ったほうがいい」と言われたときですね。当時はミルクも全然飲んでくれなくて、このまま死んでしまうのではないかと思うくらいでした。鼻からエンシュアミルク(通常のミルクより1.5倍ほどの栄養価が高い医療用ミルク)を入れたりしていましたね。

その後、3歳で保育園の入園を考え民間の保育園に申し込んだのですが、「この子はちょっと見られません」と断られてしまいました。これは認可保育園の障害児枠で入園しないとダメなんだなと、やっとそこで自覚し始め、障害児枠で保活したんです。

――徐々にというか、場面場面で障害があるとわかっていった感じですか?
発達支援センターに通っているときは、先生方、みんな優しくて親に障害名は絶対言わないんですよ。障害名が言えるのはドクターだけだから。

そうやってなにも言われないぶん、私はまた「もしかしたら、この先一発逆転で健常児に追いつけるかも」とどんどん思うようになっていたんです。でも決定的だったのは、年長の終わりくらいのある日、発達支援センターの担当ドクターに「この子は広汎性だよ」とバシッと言われてしまいました。「今まで誰も言わなかったの?」くらいな感じで。

――決定的な障害名を言われてどうでしたか?
やはりそのときはズドーンと落ちました。でも、時間が経つにつれて、このままじゃ誰も幸せにならないと気付きました。子どもを不幸にするようなことはやめて、持って生まれたものを大切に、少しでも生きやすくする術を一緒に見つけてあげる事が大事だと思うようになっていったんです

でも、それと小学校進学の不安はまた別でありましたね。発達に遅れが見られる子は、就学前に区の教育センターで知能テストや面接を受け、普通級か支援級、支援校どこに進学するかの判定を受けます。公立の学校に障害児クラスがあるのが「支援級」、障害児のみの学校が「支援校」なのですが、小学校入学で支援級や支援校にいく可能性もあったのでどんなところかがわからなくて心配でした。結果、支援級に入ることになったのですが、いざ、入ってみたら周りの友達も純粋でいい子たちばかりで安心できました。

そこからフワーっと気持ちが上向きになっていきましたね。保育園のときは、障害があるということもあり、クラスのなかでもちょっとお客様扱いされてる気がしていましたが、支援級ではまわりがいろいろな個性を持つお子さんばかりなので「ああ、この子はこれでいいんだ~」と思えるようになりました

――小学校の支援級に入学したことでようやくママの気持ちも安定してきたということですか?
そうですね。まだ、小学校に上がる頃には子どもの能力が追いつき普通級に入れるかなーという期待というか思いがあったので気持ちの葛藤がすごくありましたね。

心のどこかで一発逆転できるかもしれない、このまま普通級に行けるかもしれないという期待から、普通級か支援級かどちらに入るかが微妙な、グレーの時のほうが子どもに自分の気持ちを当ててしまうことが多かったんです。子どもが何かできなかったりすると「ちゃんとやりなさいよ! 周りみんなはしっかりやっているじゃないの!」って怒って。

今思うと、本当に可哀相なことをしたなと思います。その気持ちがようやく落ち着いてきたのは小学校の入学時点。これからはグレーじゃないんだなとようやく腹がくくれるようになりました

今は「もっと気楽に、やっていれば良かったんだろうなー」と思います。なんであの時「この子が幸せならいいじゃないか」っていう思いに至らなかったんだろうと。

食に保守的。食べられるものが限られていた

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――いま小学生になりましたが、今までで1番苦労したことはなんですか?
うちの息子はかなり知覚過敏で、苦手なものを触るとすぐ吐いてしまっていたんです。小麦粘土とかああいうグニャとしたものが苦手でそれを触るだけで吐いてしまう・・・それを私は泣きながら片付けたりしていましたね。

あと、ほかの子と比べて、食も細かったですね。食べ物に関してはすごく保守的で、見た目で絶対にイヤだと思ったものを口に入れるとこれまた吐いちゃう。年齢はすでに2歳だったけど、生後6ヶ月用のベビーフードをあげていたときもありました。これなら食べてくれるからって・・・。もう、ほぼ買い占めてましたよ(笑)。

この子はもしかしたら噛めないのかもしれないなぁと思っていたある日、ハンバーグを平気で食べたんです。そうなると「あ、ハンバーグは食べられるようになった」と食のレパートリーが増えていく。そうやって少しずつ食べられる範囲を広げていきました。本人も「意外に美味しいものがあるんだ」と、わかり始めたことですごく楽になりましたね。

障害を持つ本人だけではなく、その弟への対応も課題

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――お子さんは小学校を楽しんでいますか?
意外にすごく楽しんでいますね。相変わらず自分の世界に入って周りと関わることはあまりないようですが、ハッピーに過ごせているようで安心しています。役所から支援級の判定を受けても、親が行かせたいと強く希望すれば普通級に行けるんです。でも、今は頑張って普通級に行かなくて良かったと思っています

――学校が終わった放課後はどう過ごされているんですか?
毎日学童ですね。学校~学童の移動は心配なのでヘルパーさんにお願いしています。そして、私が5時半過ぎくらいに学童にお迎えに行きます。

あとは、障害を持った子向けのダンススクールに土曜に、週1回通っています。ときどき平日になるときもありますが、そのときはスタッフの方が直接学校に迎えに来てくれるんです。

――お子さんが小学生にあがったことで何か変化したことはありますか?
学童では「○くん(長男)普通に見えるのに変だね~」って言われたりすることもあります。最初はその言葉でグサグサ傷ついていたんですけど、「強くならなきゃ!」と思うようになりましたね。今は上級生のお姉さんに面倒見てもらってたり(笑)、助かっています。

あとは、1~2年くらい前から、下の子(弟さん、1年生)に変化がありましたね。保育園のときはお兄ちゃん大好きだったのに、今は「○くん(兄)、嫌い〜」と言ったり、家に弟の友達が来たときに、友達と2人でお兄ちゃんに対して「お兄ちゃん、へーんなの」と言ったりすることがあって…。

――弟さんのそういう態度をSさんはどう対応されるんですか?
正直、次男もきちんと兄の障害を理解しているわけではないし、本当に悪意があって言っているわけではないから、どう怒ったらいいのかすごい複雑ですね。

次男に対して配慮が足りないと思われてしまうかもしれないけど、「少なくとも家は○くん(長男)がリラックスできる場所じゃなきゃいけないと思うから、家に来るあなた(次男)の友達が○くん(長男)をけなすようなことを言うなら、その子は連れてこないで」と言いました。本人は納得したのか分かりません。今でも「きらーい」みたいなことは言いますから。

この手の問題はこれから長期的に考えなきゃいけないことかなと思っています。

自身のこれからのこと、そして子どもへの願い

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 ――将来、お子さんにどうなってほしいですか?
将来に向けてどれくらい生活力を付けられるかってところですね。勉強どうこうっていうことよりも、買い物に行けるとか、自分で着替えて身だしなみを整えて外に行けるとか…経済力って意味じゃないですよ、生活していく基本的な力です。そこを身につけさせるためには、親として手は抜きたくないですね。学力としてはいま3年生ですが、1年生くらいのレベルです。これからどれだけ漢字や文法とかを理解してくれるか…。まだ「が」とか「を」などの助詞がめちゃくちゃだったりするので。

また、自分自身のことですが、子どもの将来のためにも、障害者の親向けのセミナーにも行きたいと思っています。ただ、ほとんど平日開催で働いているとなかなか行けないので、それが残念ですね。

―−そうですよね。Sさん自身も働いていらっしゃるんですもんね。働いていて良かったと思いますか?

外で働きつつも、帰ったら子どもに「これ言わなきゃ」とか「こうしたほうがよかったかな」とか考えちゃったりすることはありますが、やっぱり仕事がいい意味で気分転換になっていると思います。

―−Sさん自身も働き方を変えたり、この先、考えていることはありますか?
確かにフリーランスという働き方はすごくいいと思います。幸い私の職種にはフリーランスの方たくさんいるので、将来的には自分もフリーランスになりたいと思っています。やはり子どもになにかあったときに駆けつけられるし、平日の行事などにできるだけ参加したいので。そのためにも今のうちに沢山経験を積んで強みを持っておきたいですね。

 

ひとつひとつの質問にじっくり考えて丁寧に答えてくださったSさん。これまでのご苦労や、どれだけ心を痛めたかがダイレクトに伝わってきました。障害を持った子どもを育てる。それは「大変」という一言ではとても表せません。そして、きれいごとでも済まされません。そこには想像できないほどの苦労や苦悩、葛藤、選択があるのです。

実はこの原稿を執筆させていただいた私の娘にも障害があります。そのため、Sさんのお話が痛いほど分かり、そしてその苦悩や葛藤も本当にさまざまであることも分かりました。

でも、だからこそひとつひとつの発達や成長が本当に嬉しく、それがママたちのエネルギーになります。そして、そんなママたちの願いは健常児のお子さんをもつママと同様に、「どうかこの子がハッピーで楽しい人生を過ごせますように」に尽きるのだと思います。

田崎美穂子

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