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2016.07.15

知的障害・半身まひを持つ子供とともに。ママの苦悩、そして願いとは?【インタビュー】


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普通に働いて、子どもを産んで育てて、また仕事に戻る。そう思っていたある日、突如予想もしないことが起こり、思い描いていたこととはまったく違う人生を歩むことに。
ちょっと大げさですが、それは他人事ではなく、誰にでも起こりうること。ワーママにだって起こりうること。
今回は、予想もしないことが起こり、障害を持つお子さんを育てながら働くことになったKさん(ライター、お子さん12歳、10歳、2歳)にお話をうかがいました。

ある日突然、わが子が脳内出血

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―お子さんの障害が分かったのはいつですか?
障害というより、生後1カ月に起こった脳内出血による後遺症と言ったほうがいいかもしれません。なので、いわゆる障害名はついていないんです。強いて言えば、「肢体不自由および知的発達障害」ですね。
「明日は1カ月検診だね。終わったら外にたくさん行けるね」なんて言っていたある日の真夜中、いつものように泣いたので授乳をしたのです。でも、いつもと泣き方が違う。そっくり返り、尋常ではない泣き声、そして母乳を吐く。
これはおかしいと思い、救急車で夜間救急へ。救急医が深刻な顔で「お母さん、大泉門(赤ちゃんの頭頂部で、生後6か月くらいまでにペコペコしています)が腫れています。髄膜炎かもしれない」と。「髄膜炎ってなに?なにがあったの!?なにが起こってるの!?」と頭真っ白、パニック状態でした。検査したところ髄膜炎ではなかったため、念のため頭部CTを撮ることに。

―その結果はもっと大変なものだったのですね。
そうなんです。なんと、左脳が広範囲にわたって脳内出血を起こしていたのです。すぐにでも手術して血腫を取り除かないと、血が脳幹を圧迫して死んでしまうというめちゃくちゃ危険な状態でした。今は落ち着いて話せますが、その時は本当にその場で気絶しそうでした。

手術、数カ月の入院を経て、やっと自宅生活スタート

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―どんな手術・治療をしたのですか?先生からはどんなことを言われたのでしょうか。
しっかり確実に安全に血腫を取り除くため、3日間脳圧を下げ、低体温状態で検査をした後、開頭手術で血腫を取り除くことになりました。
術前のインフォームドコンセント(医師からの詳しい説明)では「出血部分が言語をつかさどる部分にかぶっています。将来発語もなく、そして麻痺が残って歩行もできないかもしれない。ただ、理解する部分はしっかり残っています」ということを言われました。
その時担当医になにを言われても、ただただ生きていてほしい、願いはそれだけでした。手術は6時間ほどかかりましたが、無事終了。夫婦で抱き合って喜んだ記憶が。

―入院生活も長かったのでは?どう乗り越えたのでしょうか。
そうですね、長かったです。約5カ月の入院生活でした。幸い私は育休中、長男も保育園(ほぼ毎日延長保育)だったし、病院が完全看護で夜間は親が泊まらなくても大丈夫だったので、なんとか入院生活を乗り切ることができました。言い方は悪いかもしれませんが、仕事に通う感覚で病院に通っていました。
生後6か月になったとき無事退院し、やっと我が家で家族4人の生活が再スタートしました。長男も「○ちゃん、おかえり!」ととても嬉しそうでしたが、「やっぱり僕だけのママじゃないんだ」という表情も見せたり(笑)今思えば、長男も2歳ながらいろいろ思うところがあったのかな、と思います…

生後8か月でリハビリ開始

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―退院後はどのように生活されていたのでしょうか?
退院して2カ月ほどは、晴れた日にベビーカーで散歩をする程度の外出で、自宅でゆったりと過ごしました。
リハビリは早いうちに行ったほうがいいと病院から勧められ、区内にある療育(その子の障害や特性に合ったトレーニングを、医療機関と連携しながら行う施設)に通うことに。そのとき生後8か月。

―まだ赤ちゃんですが、どんなリハビリを?
まだ腰が座っていない、右半身に麻痺があったので、それに対するトレーニングをしてもらいました。まだ丸っきり赤ちゃんなので、リハビリといっても基本遊びながらです。おもちゃで気を取られている間に腰を支えて座る訓練、右半身の入念なマッサージなどをしてもらいました。月2回のペースでしたが、娘にはとても効果がありました
また、集団生活にもなじんでいこうということで、グループ療育にも参加することになりました。親子での参加でしたが、同じグループの友達の動きに笑ったり、真似しようとしたり、行動面・情緒面でも成長した気がします。

保育園入園、ここで一気に成長

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―ママ自身お仕事をされていたわけなので、保育園に通うことはいつ頃からかんがえましたか?
1歳過ぎには保育園に入れたいな、と思っていました。でも、まだまだ歩けなかったし、もう少しリハビリ中心の生活でいこうと思いました。その後で、1歳11か月まで通った療育を卒業し、長男と同じ保育園に入園することができました。区内ではいくつかの保育園は障害児枠を設けています。幸い、長男が通っていた保育園がそうだったのです。
療育は1歳11か月まで通ったと言いましたが、私が一緒に通えたのは育休明け、長女が1歳まで。あとの11か月間は、主人が育休を取って通ってくれたのです。
会社に掛け合って長期休暇を取って仕事を続けるか、きっぱり辞めるか悩みに悩んでいた私、「俺が育休を取るよ」と決断してくれた主人には本当に感謝しています。職場的に主人の職場が比較的休みを取りやすい雰囲気だったとはいえ、よく決心してくれたと思います。

―パパの協力なくしては乗り切れなかった?
本当にその通りです! もちろん母や義母も協力してくれましたが、親として私1人ですべて抱え込むことになったら、どうなっていたことか…と、正直想像したくないですね。こう言っては何ですが、長女のことで夫婦の結束が固くなった気がするんです。そうでないとやっていけないということもありますが、主人が育休の間、主に長女のこととはいえ、夫婦で本当にたくさんのことを話し合えました。話し合って気持ちを言葉にすることで、あまり落ち込まずに過ごせましたね。

―最初保育園に預けるときはどんな気持ちでしたか?
障害のある長女を預けて働くことに、正直最初は罪悪感と不安でいっぱいでした。でも、初日から嬉しそうに保育園に向かう娘の笑顔に勇気づけられ、そして障害児枠なので娘に1人介助の先生がガッツリついてくれたため、安心して園生活が送れました。
先生の手厚い保育、そして元気いっぱいの同年齢のお友達にたくさんたくさんいい刺激を受け、そんなみんなについていこうと必死だったのか、娘はぐんぐん成長してくれました。
手術前に「この子は歩けないかも」と言われていたのに、遅ればせながらも2歳11か月には歩けるように、そして3歳過ぎると走れるようにまでに!
言葉は単語がメインでしたが、3歳半ころになると2語文、3語文と少しずつ増えてきて、自分の要求なども伝えられるようになりました。先生にも友達にも恵まれた、素晴らしい園生活でした。

小学校入学まで、入学後が本当に大変だった!

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―保育園も終わり、いよいよ小学校入学になるわけですが、大変でしたか?
そうですね、小学校入学時が一番大変だったかもしれません。ともかく、園も卒園間近になると、当たり前だけど就学のことを考えなくてはならない。健常児のように普通にスッと学区の小学校に行けばいい、ということではないんです。障害がある、あるいは明らかに発達が遅い子どもは、必ず自治体が行う「就学時前相談」を受けます
そこで普通級、通級、特別支援学級、特別支援学校、どこに通うかの判定を受けます(BRAVA記事「【我が子の発達に不安】知っておきたい!「通級」「特別支援学級」「特別支援学校」の違いって?決まる時期はいつ?」参照)。
長女は「特別支援学級」の判定を受けました。でも、長女の成長ぶりや保育園での友達との関り方を見てきて、私は普通級でチャレンジさせてみたいと思ったのです。自治体にもよりますが、判定が出ても、親の希望が優先されます。

―普通級では、どのように過ごしたのでしょうか? 大変だったことなど教えてください。
普通級入学が決まった後は、入学までに小学校の校長先生や担任の先生と長女の障害について、どんなことに注意したらいいかなど何度も話し合いを重ねたり、娘の歩行が不安定だったため校舎の中で危なそうな箇所を確認したりと、けっこうやることが多かったですね。
そして入学後…長女に付いてくれる介助員が見つからなかったという理由で、私が長女と一緒に授業を受けることになったのです。要するに、私が娘の介助員。1学期の間、会社に掛け合って長期休暇をもらい、長女と毎日学校に通いました。やはり勉強面や運動面でまったく他の子たちについていけず、2学期に特別支援級のある学校に転校することに決めました。
1年生の1学期間だけの普通級生活、さすがに毎日付き添いはキツかったし、どうしても他の子と比べて悲しくなってしまうことも…でも、素敵な先生や優しい友達に恵まれ、親子で楽しく過ごすことができ、本当に貴重な体験ができました。

普通級から特別支援級へ

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―1年生の2学期から特別支援級に転校して、お子さんやママも変わりましたか?
変わったというか、とにかく1人で授業を受けてくれる、これが嬉しかったですね。普通級は親子で楽しく通えたし、素敵な思い出ばかりなのですが、どうしても「お客様」状態になってしまい、正直心苦しく、申し訳ないと思うことも多かったんです。
特別支援級に移ってから、長女も「お友達に遊んでもらう」ではなく、「一緒に遊ぶ、一緒に学ぶ」ことができるようになったのが嬉しかったみたいです。

―通学は1人でできるのでしょうか?
いえ、4年生になった今もまだまだ送り迎えが必要です。一駅先という遠い距離ということもありますが、朝は主人が自転車の後ろに乗せて登校、帰りは私が迎えに行ったり、仕事が入ったときは移動支援(学校の送迎をしてくれる自治体サービス)や放課後デイ(障害児向けの学童のような施設)を利用して対応しています。

ママ自身もワークスタイルを変えるきっかけに

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―今はフリーでライターをされていますが、それまではフル外勤だったのですよね?
そうなんです。長女が転校した後に出版社を辞め、フリーに転向しました。
1年の1学期が終わり、夏休み中は長男も長女も学童に行ってくれていたので、また出版社の仕事に戻ることができたのですが、特別支援級のある学校が一駅先にあったため、とても1人では通えず、送り迎えが必要。「もうこれ以上休んだり、度重なる早退も無理かな…」と思い、退職してフリーになる決心をしたんです。
でももちろん、同じ学級にフルで働いているママはたくさんいます。長女も利用していますが、放課後デイや移動支援を利用すれば、フルで働くことは充分可能なんです!

―フリーになってよかったことは何ですか?
まだ長女がリハビリや障害児向け塾などにも通っていたので、フリーになって対応しやすくなったことです!(それまでは主人や主人の両親に頼むことも多く、そのやりくりも大変だった)そして実は転校してから第3子を妊娠したので、初めて産休や育休を意識することなく、ゆっくり妊娠生活を送ることができました。

娘の今、そしてこれから

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―今お子さんは4年生。どんなふうに過ごされていますか?
とにかく可愛いモノや洋服が大好きで、アイドルに夢中です。知的には4歳程度で、右手もほとんど使えず、右足も引きずって歩きますが、元気いっぱい毎日楽しく学校に通っています。知的に同じくらいのお子さんと学習グループを組んで勉強しているので、分からないまま置いて行かれることもなく、勉強面でも着実に伸びていると思います。

―将来、お子さんにどうなっていてほしいですか?
今はとにかく毎日を楽しくハッピーに過ごし、その中で少しずつできることを増やし、自立生活ができるようになっていってくれればいいな、と思っています。
中学、高校、これからどうなっていくのかはまだまだ分かりませんが、毎日少しずつ着実に成長していってくれる長女には、将来自分でできること、できれば好きなことをやって幸せに暮らしてほしいと願っています。
そのためには、お金の計算、ひらがな・カタカナはもちろん、生活できる程度の漢字も読めるようになってほしいと思っています。

 

成長を喜ぶ半面、他の子と比べて落ち込んだり、将来を考えると叫び出しそうになるくらい不安になったこと、毎日のように泣いていた日々、つらいこともたくさんたくさんあったそうです。
「今こうして前向きになれているのは、子どもの日々の成長はもちろん、支えてくれた方たちの温かい言葉や、おなじような境遇のママさんたちと気持ちが共有できたこと、そして働くことによって気持ちのオン・オフができて、落ち込んでる場合じゃない時間があったことが大きい」と語ってくれたKさん。
今のKさんの原動力は、「娘がハッピーならそれでいい!」に尽きるそうです。


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