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2017.09.01

発達障害をもつ「スーパー内弁慶息子」、3年後に変貌したきっかけとは?


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保育園の年長組のときに担任の先生に言われた「息子さんは、小学校の45分の授業に耐えられません」という言葉から、病院で診断された「ADHD」という発達障害。

あれから紆余曲折を経て、早3年が過ぎました。そのときの私は、”息子の個性だろう”くらいにしか思っていなかったものの、思い起こせば、保育園の発表会では終始泣きっぱなし、運動会の演目中には1人で園庭の石ころ拾いと、超がつくほどマイペース。

しかし、それらが終わると、ケロリといつもどおり。内弁慶というかなんというか……とにかく頭を悩ませました。その頃から、息子の内弁慶っぷりは、一般的な内弁慶な子に比べても、その3倍レベルだったかもしれません。今もその内弁慶っぷりは変わりませんが、この3年間での彼の成長ぶりを少しお話ししたいと思います。

小学校入学からの荒れた1年生ライフ

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ハイハイしていたような赤ちゃんが、急に自力歩行を強いられるような”小学校入学”という高い壁。戸惑って当然!と思っていたものの、息子の傍若無人ぶりにはさすがの親の私も度肝を抜かれました。

普段は饒舌な息子も、子どもたち同士のコミュニケーションにはうまくついていくことができず、言葉より先に手が出てしまうことがしばしば。保育園の時ですら、他の子よりも成長が遅かったこともあり、無理もないなという気持ちもありましたが、手を出していいことにはなりません。

それは、小学校に入学してからも変わりませんでした。今でも思い出すと壮絶だったな……と思い出すのは、入学式から1ヶ月間くらいでしょうか。仕事をしていても、学校から携帯に連絡が入り、「息子さんが同じクラスの〇〇くんと言い争いになって押し倒してしまいました」や「避難訓練で整列中にお友達と喧嘩になり、お友達の顔面にパンチをして相手の子が鼻血を出してしまいました」という、どれだけ暴れん坊将軍だよ……と頭を抱えました。

そのため、仕事が終わって菓子折りを買いに行く時間がなかなか取れないので、自宅には日持ちのする焼き菓子やお煎餅などの菓子折りを贈答用にいくつかストックしておき、何かあったときはすぐに相手方のお宅に行けるようにスタンバイしていたのはここだけの話……。

小学校2年生で周りの子との歴然とした差

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1年生でオタオタしていた子どもたちも、2年生になると次第に慣れてくるもの。他の子が成長を遂げるほど、息子の成長との差は歴然。周りの子に手を出す回数こそ減ったものの、息子は自分の居場所を見失いました。そのため、椅子に座っていることはおろか、教室にとどまることができず、校庭や体育館裏へ逃亡する回数が増えたのもこの頃。

その度に、校長先生や副校長先生に追いかけてもらい、保護していただくこともしばしば……。大変なご迷惑をおかけしたなぁと今でもしみじみ思います。

日常は、担任の先生や通級の先生の協力もあったので、アップダウンはあったものの、息子のペースを尊重してくれるものでした。しかし、そこは通常級。常に先生が付いていてくれるわけではないので、頻繁に個人面談をおこない、方向性について話し合いました。

そのなかでも、私が思ったのは、他の子と一緒に勉強したり運動したりと、いわゆる一般的に「普通」と呼ばれるような成長を遂げて欲しかったのは事実ですが、その頃からは特に、「息子のペースを尊重してあげたい」という気持ちが強くなり、小学校2年生の「こうあるべき」という固定概念を親子で覆そうと考えました。

あくまで私個人のイメージにしかすぎませんが、小学校は、”習え右!”みたいなところがあると以前から感じており、そこからはみ出してしまった者が、”落ちこぼれ”と呼ばれるような風習。(もちろん賛否両論だと思います)

私は、職業柄「普通」という概念が一般の方とは少し違うかもしれません。私が働いている美容業界では、個をいかに美しく演出するかなど、「個」の色を活かすことも重要だからです。

そのため、「勉強ができなくたっていいじゃない。別に死ぬわけではないのだから」「普通?普通でなければ悪者なの?」とこんな思いが強くなったのもこの頃です。

私自身が、美のクリエイターとして活動していることもあり、「周りと違って何が悪い」という思いから、息子が周りの子よりも勉強ができなかろうが、運動ができなかろうが、それはそれで”「息子」という人間なのである”と認識しました。

そして、息子にもきちんと私の気持ちを伝えました。

人は、みんな顔や性格が違うのと一緒で、得意なことや不得意なことがあって当然だよ。人って、算数ができないからといって死ぬと思う?

お母さんも小学校の頃から算数ができずに今まできたけれど、今も生きているよ。とっても楽しいよ。お母さんの得意なことは、勉強ではなくて、人にメイクをする美容のお仕事だったんだよ。

だから、まだ生まれてから数年のうちにわからないことやできないことが多くて当然なんだよ。

この話を真剣に息子と話してからというもの、できないことを棚にあげるようなこともなく、どこか「オレはオレでいいんだ」という納得感を得られたような行動をとるようになりました。

2年生の年度末に近づく頃、ふと耳に入った「3年生になると1クラス40人で2クラス編成になるらしいよ」という情報。2年生の段階で、1クラス20人少しという人数でさえ、過ごすことが難しかった息子が、40人クラスでどうやって生き残れるでしょう。

親として、「それでも頑張りなさい!」ということは簡単です。しかし、人生の中のたったその一部を苦しんで苦しんで過ごすことが、本人にとってプラスになることでしょうか。

大人になって小学校生活を思い出した時に、「あの頃はすごくつらくて思い出したくもない」なんていう黒歴史になってしまっては、とてもかわいそうですよね。

過保護と言われてもかまわない、この子に1番合う環境で小学校生活を送ってもらおうと決意をし、それからというもの、市内の固定級に見学に行ったり、本人を体験授業に参加させたりとバタバタした日々を過ごしました。

そして、最終的には息子本人に決断を委ねました。

私「3年生になるとき、1組と2組が一緒のクラスでお勉強するくらい人数が増えるんだって。〇〇は、3年生になって、今までどおりのお友達と大勢で過ごすのと、固定級に転校して1クラス8人で過ごすのではどちらがいい? お母さんは、〇〇が小学校に楽しく行けるように好きなほうを選んでほしいと思っているんだ」

と伝えたところ、

息子「オレは、固定級に行きたい!クラスでもっと人が増えるなんていやだ!明日にでも転校したい!」

これが息子の出した決断でした。

こうして、息子が3年生になる4月から固定級に転校できるよう、怒涛のような手続きが始まったのは言うまでもありません。

自分の居場所を見つけた小学校3年生

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4月から転校をし、3年生からの新生活。環境が変わることを極端に苦手とする息子でしたが、なじむのにそう時間はかかりませんでした。それもこれも、きっと息子にとってその環境が合っていたからでしょう。

固定級には、同じ特性を持つような仲間もいます。だからと言って、いざこざが皆無ということではありません。その中ではその中なりに衝突がありますが、担任の先生たちが実に優秀!

これは、通常級の先生が劣っているということではありませんが、衝動的・感情的になっている子たちに、何が悪くて何が良いのかを的確に指導していくその様は、心から「あぁ、ここに転校してきてよかった」と感じさせるものでした。

もちろん、ダメなことはダメ!としっかり叱られます。その瞬間は感情的に泣いたりしますが、時間を置けば自然と納得していくのです。息子も、叱られることは好きではありませんが、こんなことを言うように。

「オレが、〇〇にしたことは悪いことで、オレがそれをされてもすごくいやな思いをする。絶対しちゃいけないことだと思う」

このように、以前も同じようなことで先生に叱られたことは数え切れませんが、頭でしか認識していなかったものの、固定級にきて叱られてはじめて、腹落ちする感覚を覚えたのでしょう。

普通なら1〜2年生初めて教わる、足し算引き算の繰り上がり、繰り下がりが、3年生の1学期が終わる頃になって初めて習得ができました。

できなくて、泣きわめいていた息子が、自信満々に「お母さん、オレもう繰り上がりも繰り下がりも完璧だぜ!」と言うほどに。

時間はかかれど、その子に合った状況下ですごすことで、1歩、また1歩と成長していくのを目の当たりにし、「な〜んだ、人生まだこれから。焦ることないじゃん!」と、ある種、楽観的になれた私です。

 

3年生の夏休みを過ごしている今、自分を大切にする気持ち、人を大切にする気持ちを体で感じ、時には叱られ、時には褒められ、これもまた彼にとって大切な時間なのかなと思っています。

内弁慶っぷりは、まだまだ拍車をかけていますが、それもまた息子の一部分。それも1つの個性として、私たち親子は、今日も楽しく生きています。

黒木絵里

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