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2018.04.13

夫も妻と同じように不満を溜めてる!?夫婦関係を修復するために夫に贈りたい言葉とは?


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筆者は20代前半で結婚しましたが、当時「愛こそすべて」と思っていました。いや、笑っちゃいますね。なんて若くて呑気だったのでしょう。
子どもが生まれ、仕事と育児の両立が始まれば、そんな甘い言葉ですべてを受け止められるわけがなかったのに・・・。

長男を産んだ時「恵まれた環境」にいた私

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結婚してすぐに子どもが出来たけれど、私はとても恵まれた環境にいました。当時、双方の両親は現役で60代前、元気で初孫が生まれたことに驚喜していたわけです。

私はいつでも実家に子どもを預けられたし、夫の家でも頼めばウキウキと子どもと過ごしてくれました。

だから私は、まだ未婚の友達が多かった中で遊びに行けたし、夫は自分が子どもの面倒を見るわけではないのですから、私が出かけるとなれば夫は夫で自由に過ごすし、あるいは夫婦ふたりで出かけたければ苦労なく出来たわけです。

今、私が思うのは、あの頃、恵まれた環境の中でだからこそ

「夫婦仲良しでデートとかいつまでもしようね」

なんてことが言えたのだなーと思うのです。雑誌の読者モデルのように「1ヶ月に1回は、子どもを預けて夫婦ふたりでデートしてます」「時々、息抜きに子どもを置いて、おしゃれして友達と飲みに行きます」・・・そんなことが出来たんですね。

だけど、年が離れて生まれた下の子はまるで環境が違いました。私の両親については介護の問題があり、預けるどころの話ではなくなっていました。夫の父親は亡くなり、義母もそれなりの年齢になっていればそうは簡単に子どもを預けられる状況ではなくなっていました。

余裕がなくなると「愛情表現」もなくなっていく・・・

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夫婦ふたりで出かけたり、自分ひとりで遊びに行くことは、働く母親にとって大きな気分転換です。でも、下の子でそれがたやすく出来ない状況になって、初めて私は困った状況に陥りました。

小さな子どもを預けて、例えば流行の店に行く、ライブに行った後におしゃれな店で食事をする。調子が良ければバーに行く。

今思えば、そんな「非日常的な世界」に、子どもがいながらも思い立ったら出かけることができたからこそ、

「私たちって、すごい仲良し」

ラブラブだよね~と出来たのかもしれません。小さな子どもがいるのに、ふたりで過ごす時間がたっぷりとあり、ゆっくり話し合えました。お互いに気持ちに余裕があるからこそ、責めることもなく、相手の気持ちに寄り添うようにお互いの気持ちを表し、理解しあう時間も持てたのでしょう。

そうして下の子で預けるアテがなくなった時、私は途方に暮れてしまいました。

子どもの話題だけが夫婦を繋げていた時期もある

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なぜなら、「あ、明日ちょっと出かけたいなー」と思ってもそうはいきません。75歳を過ぎた姑に、5歳のやんちゃな男の子を預けるのは簡単ではないし、では夫に預けて自分は出かける、というのが例えば夫が不機嫌になるのをあえて無視して強行すれば、夫の不満はたまるし、こちらも「たかが数時間くらい」とモヤモヤはふくらむいっぽうです。小さな子どもを連れて家族でご飯を食べに行けば、あれこれ話したいことの途中でも、子どもがぐずれば話は中断する。盛り上がって「あとちょっと飲みたいよね」となっても、なかば寝落ちしている子どもを抱いて行ける店などないし、行くべきだとも思わない。

すると、どうでしょう。

若い頃、盛り上がって

「愛こそすべて」

の状態で夫婦だけど恋人時代そのままに、手をつないで歩き、ふたりで夜空を眺めながら「私たち、仲良い夫婦だよね」なんて言い合っていた、そんな舞台装置の上に立てなくなりました。

私たち夫婦はよく出来た「仲良しでいられる環境」を失い、お互いがお互いに小さな不満を積もらせながら、日々過ごしていきました。
唯一、ふたりで盛り上がれたのは、いかに下の子が可愛いか、今日こんなことができた、どうもこんな才能があるっぽい。子ども、子ども、子ども、子ども! 子どもの話題だけが、夫婦でケンカをしないですむ話題だったのです。

夫婦のモヤモヤは日々増えていくばかりだった

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もちろん、小さな子どもをはさんで我が家でご飯を食べたり、お風呂から出てきた子どもの世話をしながらビールを飲んだり、それも、とても幸せな風景です。

でも、私はいつまでたっても、20代の頃のままに「愛こそすべて」で、夫とデートしたり、遊びに行ったりしたかった。だけど、それが簡単には叶えられない状況になると、日ごとに小さな不満がたまりました。

それは、例えば

「子育てしながら仕事してるんだから、もうちょっと気を遣ってよ」
「洗濯物を1日しなかったからといって、文句を言わないでよ」
「玄関に出しっぱなしの靴、しまっていないからって不機嫌な顔しないでほしい」
「たまにはふたりで飲みに行こうよ!」

そんな事です。ところが同時に夫も思っているんですね。

「疲れて帰宅したら、不機嫌な顔でもっと疲れたアピールをする妻の話にウンザリ」
「別に掃除してないからって文句なんか言ってない。だのに勝手にオレが文句言ってるみたいに思っていて、勝手にイチャモンつけてくる」
「老齢の親に子ども預けたところで飲んだって楽しいわけがない」

不思議です。

私が夫に対して不満を思ってる時、相手も同じくらい、私に対して不満をためていたんです。

気づけばそこにある夫婦の愛情を言葉にして伝えよう

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そうして、結婚25周年も過ぎた今、夫婦って合わせ鏡なのかも、と思ったりします。

私がモヤモヤとイライラをためている時、夫も同じように何かしらの葛藤を抱えている。

周りの環境がとても恵まれている人。例えば私の若い頃のように。あるいは、経済状態とか。大金持ちなら、出かけたい時に出かけられるだけの環境をオーダーできるのでしょう。

だけど、それが無理な時、夫婦はお互いに「愛こそすべて」を置き去りにして、お互いに妥協の道を選びます。

若い頃、私はそうした妥協を「愛がないからだわ!」なんて、思ったりしていたわけです。でも、違うんですね。妥協する、どうしようもないから我慢する、忍耐の世界。でも、相手のために我慢できるのだとしたら、あるいはモヤモヤしつつも受け入れるしかなくて、なんとか自分の気持ちを納得させていたとしたら。

本当はムカつきながら、イラつきながら、それでもなお、受け入れている今があるならば。

その根底にあるのは

「文句はあるけど、しょうがない、なんだかんだ言っても夫を受け入れているから」

それはつまり、とても良いように言い換えれば

「愛こそすべて」

で、結局、夫を愛しているって事だったりして、とか、ビミョーに思ったりする、ええ、今日この頃だったりするんです。

もしかしたら、あなたも。

今日も小さな不満やケンカのタネを抱えつつ。実は実は、けっこう夫が大好きだから、結局、許しているのかも・・・。愛情の認識は奥深い。100の夫婦には100の愛情の形がある。時々、見失ってしまうかもしれないけど。

今さら「愛こそすべて」なんて、口が避けても言えない? 家族としての形や絆はあっても、夫婦の愛情なんてものはもう、はるか遠くにあるものですか?

山ほど文句と愚痴はあるけれど、夫を愛しちゃっているって事実を、ほんとはどこかで「うん、でも、しょうがない。どうしようもないけど、私は夫が好きなんだ」思っていることを、できるのであれば、言葉にして伝えたいものです。

私、できてないからエラソーに書けないんですけども・・・。言霊を信じてみませんか? ちゃんと言葉にして、伝えてみませんか。気持ちを言葉の花束にして相手に渡してみること、一番側にいるあなたの夫にこそ、今日、今夜、試してみませんか?

大橋 礼

大橋 礼

年の差15歳兄弟の母。DTP会社勤務後、フリーで恋愛・料理・育児コンテンツを執筆中。今や社会人長男のママ仲間とは「姑と呼ばれる日」に戦々恐々しつつ、次男の小学校では若いママ友とPTAも参戦中。飲めば壮快・読めばご機嫌!本とお酒があればよし。


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