2017.03.07
発達障害の息子、我が家の【割り切り宿題法】とは?
現在は、通常級と通級(通級について知りたい方はこちらの記事を参照)を併用している小学校2年生の息子。学校が終わるとそのまま学童へと行き、帰宅は17時〜18時。お友達と遊ぶのが大好きな息子は、学童へ行くと、学習時間もそっちのけで遊び倒して帰宅します。
すると、自宅でいざ宿題を!となると、既にヘトヘト状態……。それでもやらなくてはならない”宿題”。皆様のご家庭ではどのように切り抜けていますか?
今回は、我が家の割り切った宿題法をご紹介します。
学童で済ませてきて欲しいという親の心情
学童では、自己学習の時間があります。そのため、そこで宿題を済ませてくる子も少ないくないとか。我が家の息子も、月に数回は、学童で宿題を済ませてくることもありますが、非常にまれなことです。
ADHD(注意欠陥多動性障害)の息子は、動くものに敏感で、それが目に入ると好奇心が一気にそちらへと奪われます。そのため、もし学童で宿題に取り組んでいたとしても、隣で別のお友達がボールを投げていたら……もうアウト。
宿題という存在は、息子にとって記憶の彼方へと忘れ去られます。そのしわ寄せは、帰宅してから息子自身に降りかかります。「疲れたぁ」「宿題やりたくない」と連発する息子に、「なぜ学童でやってこなかったの?」と問うと、「遊ぶのが楽しかったから」と。
まぁ、わからなくもありませんが、帰宅してこうなることがわかっているのであれば、学童で済ませてくればいいのに……というのが、私の正直な心のうちです。
「泣く」「叫ぶ」「人のせいにする」
発達障害を抱えていない子でも、宿題が好きな子というのはなかなかいないものですよね。しかしながら、息子は、宿題に対して過剰な拒否反応を示します。
学童の先生と、ご機嫌に宿題を済ませてくるときもあれば、自宅で、「なんで先生はこんなに宿題を出してぼくを困らせるんだ!意地悪だ!」と、なんとも自分勝手な理由で泣きわめくことも。
「宿題はみんな平等に出されていて、きちんとやったほうがみんなのためになるから先生は出すのであって、全く無意味なものではないんだよ」という正論は、息子に対して全く通用しません。もう既に、彼は完全にシャッターアウト。
そのシャッターを開けるには、”私が隣に座って一緒に宿題をする”ことが1番の解決法なのですが、時はすでに18時過ぎ。夕飯の支度もあるため、つきっきりの対応は難しいのです。
そのため、私は夕飯の支度をしながら、リビングから泣き叫びながら質問してくる問題に答えつつ進めさせるのですが、結果、1時間で2問しか終わっていない、かつ鉛筆でグチャグチャに書きつぶされているということが大半でした。
好きな「漢字ドリル」と嫌いな「計算ドリル」
宿題のなかでも、わりと集中して1人でも取り組めるのが「漢字ドリル」です。字の上手い下手はさておき、お手本の文字をなぞり、同じ漢字を複数回書くというルーティンは、息子の許容範囲内だった様子。
しかし、「計算ドリル」はわけがちがいます。何より算数が大嫌いな息子は、それ、こないだできたじゃん!という問題ですら、1つつまずくともう大変。
泣きながら消しゴムで間違った答えを消しつつ、イライラをそこにぶつけるため、見事にノートの紙を破きます。「破けばそこに答えが書けない=もう宿題をやらなくていい」というなんとも非合理的な方程式が彼の中で生まれ、それを繰り返すようになりました。
いやいや、それでは終わらせません。私も少し意地悪かもしれませんが、別の紙を用意して、そこにもう1度やるように伝えると、猛烈に文句を言いながら宿題を再開させるわけですが、答えは間違っている、書きなぐる、つまり、宿題をやっている意味がなかったのです。
臨床心理士の先生に相談してみた結果
月2回の臨床心理士の先生によるソーシャルスキルトレーニングの際に、息子が宿題に取り掛かることができない旨を相談しました。すると、「息子さんは、学校に行っている時点で、みんなに合わせようと通常のこの数倍ものエネルギーを注ぎ、学校が終わる頃には、疲弊しきっています。ですから、帰宅後の宿題に取りかかれないというのは、もう既にエネルギー切れを起こしている状態。つまり、頑張りすぎ!」と。
確かに……。息子は、通常級で「ただ過ごす」というだけで異常なほどに疲れるそう。それは、その時点で既に”頑張りすぎている状態”なのです。それを5時間、6時間、そして学童で夕方まで過ごしてから帰宅ですから、もう家に帰ればすぐさま眠りたいほど疲れているはず。
そこから、宿題をやりなさい!という負荷をかけるわけですから、これは、息子にとってたまったものではありません。
我が家で決めた「割り切り宿題法」
宿題は、投げやりにやっても全く意味がありません。そして、先述のとおり、息子のストレスをかんがみても、宿題を無理強いして何かこの子のためにプラスになるのかということを深く考えました。
もちろん、「甘やかしだ」「息子さんだけずるい」という声も、ひょっとしたらあるかもしれません。しかし、私の考える教育は、”本人にとって良いかどうか”がポイントだと思いました。
宿題1つで、取り乱してしまい、その他すべてがないがしろになったり自暴自棄になることは、果たして息子のためになるのかどうかと考えたとき、私にとって宿題という存在は、非常に無意味に感じたのです。
まず、息子に対し、宿題の大切さについて話をしました。やることのメリット、やらないことのデメリットもきちんと話した上で、どうやったら宿題ができるかを話し合いました。
そこで出た答えは、「できるところまでやる!そのあとできなければ、『できませんでした、ごめんなさい』とノートに書いて先生に伝える」ということ。
他のお母さんからしたら、非常識に思われるかもしれませんが、私にとってその答えは、息子の精一杯が詰まっているなと感じたため、担任の先生とも話し合い、先生もそれで納得してくださいました。
答えをうつす、投げやりに宿題をやっつけるという方法は、私にとって全く無意味に感じます。だとしたら、やらないほうがよっぽど有意義だと。一般論としては、「宿題はやらなきゃいけないもの」とされがちですが、極論、宿題をやらなかったからといえど、死ぬわけではありません。
その日から、我が家の教訓は、「宿題をやらなくても死ぬわけじゃない」という割り切った宿題法にたどり着いたのです。本来であれば、息子のやる気を削ぐことなく、宿題をコンプリートしてくれることが理想ではありますが、ヘトヘトに疲れて帰宅しているのだから、せめて家はオアシスでありたいという、母のささやかな願いでもあるのです。
黒木絵里
美容家