2020.05.18
家族が母の日を華麗にスルー!何もしてもらえなかったママたちへ伝えたいこと
5月。母の日も終わりましたね。
「でも母の日に何もしてもらえなかった」
密かに、胸の中でガッカリしたり、落ち込んだりしていませんか?
子どもが保育園や幼稚園に通っていると、子ども本人の意思はともかく、何かしら工作やらプレゼントやら作ってくることも多いですね。
似顔絵ひとつでも嬉しいものです。うちの次男が幼かったころ、折り紙で作ってくれたカーネーション、今も棚に飾ってあります。でもいつ頃からでしょうか、母の日といっても子どもは思い出しもしないのか、あるいは気づいていてもその気がないのか、なーんにもしてくれなくなりました。
義母に尽くして母の日スルーって・・・
いっぽうでわたしは母の日が近づくと義母へのプレゼント選びに四苦八苦します。喜びそうなものはすでにあげつくしてしまったし、嫁歴も長くなると姑もあっけらかんと「花とかもらってもね~、だから何もいらないわよ」などと言うわけですが、そうもいかないというのが嫁姑ってものです。
スカーフだったり小さなポーチだったり、選びながらふいに思うんですよ。「わたしは夫のために義母のプレゼントを必死に考え、母の日にあわせてプレゼントしている」それなのに夫は「それこそ妻の仕事」といわんばかりに当たり前に受け止め、「あ、おふくろに買っておいてくれた? よかった」で終わりです。
あなたのお袋さまにプレゼントを選んでいる妻は、あなたの子ども達の「お袋さま」でもあるんですよ。無邪気に忘れている、気づいていない子ども達に、どうして父親として「おい、今日は母の日だぞ、どうしようか」と声をかけてくれないのでしょうか。
こうして、母の日がスルーされていくのです。
母の日何もしてもらえなかったからって不機嫌になるのはワガママなの?
とある友人はこう答えました。
「あのねぇ、親に対する感謝を期待するってどうなのよ。子どもを育てるのは親の責任だし、可愛がるのも当然のことでしょ。何か見返りを期待して子育てしてるわけ? たかだが母の日くらいで」
4人の子を育てた肝っ玉母ちゃんの言葉は説得力バツグンなんですが、今回ばかりはわたしの心に響きません。
周囲のママ友が「子どもがね、ハンカチ買ってくれたのよ」そんな話を聞きながら「いいわねぇ素敵!」とあいづち打ちながら、ちょっぴり嫉妬もしているし、けっこうウンザリしています。母の日に「ありがとう」の言葉ひとつもかけてもらえないなんて、やっぱりやっぱり、淋しいじゃないですか。むなしいじゃないですか。
これってワガママでしょうか?
本音は「母の日にこんなことあってね」と自慢したかった
実はこれ、10数年前にわたしがグタグタとメモっていた内容です。少し時間ができて片付けをしていたら、捨てずにまとめておいた手帳がでてきたのですが、ぺらぺらとめくりながら5月のところで走り書きが目につきました。
それが上記のような内容だったのです。
どうも気になって、何年か前の手帳も見てみると、そのうちのひとつに「頭にきた。自分で母の日だから今日は何もやらない!と言った。ご飯も作らないと言って出前をとったけど、なぜわたしが支払うんだ?」こんなことが書いてあり、ご丁寧にとなりに金額まで書いてありました・・・寿司4人前7900円。
当時、次男は小学校低学年だったかと思いますが、PTAをしていた関係もあり、ママ達とのおつきあいも頻繁でした。母の日の翌日ともなると、ひとりが「いや、もう、へたくそなんだけどさ~カードみたいの作ってくれてさ」なんて言い、そうすると他のママたちも「ウチは忘れてるのかと思ったけど、まぁ夜になったらパパさんが母の日だから外でご飯にしようかって焼き肉たんまり食べたからヨシとするわ」こんなことを言うわけですよ。
正直なところ、わたしだって本当は自慢したかった。母の日にこんなことしてくれた、こんなプレゼントをもらった、優しい言葉に感激しちゃった、わたしだって、自慢したい。見栄を張るために子育てしているわけではないのは重々承知しているけど、それでもくすぶる「ちぇっ」という気持ち。
両方欲しかったんだなぁと今は思います。家族に「ママは毎日大変で頑張ってる、だから母の日にはありがとうって伝えよう」っていう気持ちが欲しかった。それで日々の苦労が報われるような気がしていたんですよね。
加えてやっぱり誰かに「ウチの子はこんなことしてくれたの」って自慢したかった。だから何か欲しかった。自慢するためにモノを貰って嬉しいの? そうではない。そんな自慢をしあっても意味がない、自慢したからってスゴイわけじゃない、ええ、ええ、理屈も道理もわかってるけど、心の中身はけっこう世俗にまみれてます。
誰かが自慢すれば、それ以上に自慢したくなるのって、多少の差こそあれ、多くの人が実はもっているのではないのかな、と、思ったりします。
母の日スルーされたら不機嫌になろう!
もしかして、あなたも母の日に何もしてもらえなかったのでしょうか。それはちょっとむかつきますよね。自慢げなママ友たちのLINEなんか見てると、心がざわつくの、当然です。
それで「感謝を強制するもんじゃない」っていう正しい理屈で自分を納得させなくてもいいんじゃないかな、と思うのです。
そうです。だってママは頑張ってるんだから。
パパだって頑張ってる。子どもだって頑張ってる。母の日だからと特別にアピールするな!という声も聞こえてきますが、だからなんだって言うんです。もう堂々と「ママに感謝しろーーーッ!」と怒鳴ってやってください。
ママはみんなに「ありがとう」って言ってもらえなくて淋しいんだよ、と伝えてください。夫にも愚痴をぶつけていいんです。もはや母の日は過ぎたけど、「結局、母の日何もなかった。ママはいますごく落ち込んでる」と夕飯の席でぼそりとつぶやいていいんですよ!
あるママは「誰もしてくれないから、わたしは自分で母の日に好きなもの買う」と言ってましたが、それもアリ。アリだけど「母の日だから、自分で買ったよ」嫌みのひとつも口にしたっていいじゃないですか。
やがていつか必ず子どもは親に感謝するけれど
子どもも成長し、社会人になれば、多少は親のありがたみがわかるものですし、母の日に限らず、ねぎらう言葉も出てくるようになるでしょう。
だけど母親として「大きくなればね」「いずれわかるわよ」という言葉で頭では納得しても、心のモヤモヤは晴れません。なぜなら母は今、今現在、奮闘中だからです。わたしも上の子は独立しました。だからよく偉そうに「大丈夫よ、いずれ大きくなったらね」と愚痴るママを励まします。
わたし自身もそうして先輩ママたちのアドバイスや激励をうけてきました。確かにそれは少し心を軽くしてくれたけど、その時の苛立ち、怒り、モヤモヤを完全に払拭はしてくれません。だって、結局「いつか」という漠然とした将来は遠く、今この瞬間に「ママありがとう」「ママすごいね」「ママ頑張ってるよね」一番身近にいる人たちからの言葉には勝てない。いつかわかってくれるから、ってことは充分わかっているけれど、だからってモヤモヤは消えないのです・・・。
母の日何もしてもらえずにプチお怒り中のママたちへ
親が子を育てるのに、見返りを求めているわけではありません。熱をだしている子の横で一晩中不安に包まれて見守ること。散らかったオモチャに足をぶつけてプンプンしながらも寝顔を見れば消えていく苛立ち。怒鳴りつけ叱ったあとで泣き止まぬ子を前に、落ち着いてみれば「ママがいけなかったんだね」と猛烈に落ち込むこと。
無償の愛はとても美しい言葉だけれど、現実の世界では暮らしはもっと些末でリアルなことばかり。与えること、分かち合うこと、そんな子育ての日々が続けば、時には「わたしにもあったかい心をちょうだいよ!」と求めたくなり、思わず叫びたくなることだってあると思うのです。
だから母の日スルーをされて、人には言えずにむかっ腹を抑えているママたち。いいんです、怒ったっていいんです。良いお母さん、無限大の愛情を降り注ぐお母さん、でも泉の水が涸れる時があるように、心がささくれだってカサカサになる時だってあるに決まってるじゃないですか。
ずーっと、子どもに期待ばかりかけて答えぬ子を強い強制力で押しつぶすのは論外です。母の自己満足のために勉強もスポーツもすべてで結果を出せと迫るのは理不尽です。毎日どんだけママがあんたのためにやってあげてると思ってるのよ!と、子どもがヒザをかかえ頭をうなだれるまで怒鳴り続けるのは間違っています。
だけど、母の日スルーにイラっとした時、「ちぇっ」と舌打ちをし、「なんで忘れてるんだよ〜」と不機嫌になるくらい、どうだっていうんです? 子どももひとりの人格があり、母親もひとりの人間なんですから。おかしくなんかありません。母の日を忘れられて、今もちょっと「ムカっ」としていること、モヤモヤした気持ちが晴れないこと、それって当たり前の感情だと、わたしは思います。そんな小さなことでへそを曲げている母親は、人間味あふれる、可愛いママだと思うんです。
大橋 礼
ライター
年の差15歳兄弟の母。DTP会社勤務後、フリーで恋愛・料理・育児コンテンツを執筆中。今や社会人長男のママ仲間とは「姑と呼ばれる日」に戦々恐々しつつ、次男の小学校では若いママ友とPTAも参戦中。飲めば壮快・読めばご機嫌!本とお酒があればよし。