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2016.06.14

大地震がおき自宅前のキャンプ生活に!【熊本地震、母と娘のリアルストーリー<前編>】


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熊本大震災からもうすぐ2か月が経ちます。東京にいるといつもの日常が変わらずあるのですが、熊本の現状はどうなのでしょうか?

今回の地震で大学時代からの友人一家が被災しました。気になって安否確認や状況報告で連絡をとっていた時「子を持つ母として、何かこの経験が役に立つのなら」とインタビューに応じてくれることとなりました

彼女は4月に東京から熊本市中央区に転居したばかりで、2週間後に大地震。引越しの荷物も片付き、小2の長女と年中の次女も新しい環境に慣れ始めた矢先のことでした。幸い、家族も家も無事でしたが、ライフラインは2〜3日断絶。そのため昼間はテントの下、夜は車の中で眠る日々が続いたと言います。ご主人は保険関係のお仕事で、地震対応のため翌日からは出勤する日々。

その状況下で母と娘たちはこの1ヶ月、どのように過ごしていたのでしょうか。子どもたちはどのような変化があったのでしょうか。3回にわたってお伝えしたいと思います。

「まさか」のひと言。でも東京時代の防災意識が助けてくれた

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「まさか熊本で地震に遭うなんて本当に想定外で。何が起こったのか、すぐに理解ができませんでした。とにかく娘たちを守ることだけを考え、揺れが落ち着いてすぐに外に出ました。同時に飛び出してきたお隣さんと、驚きとショックな気持ちを共有できて、ホッとしたのを覚えています。」

東京からの転勤ともあり、やっと都市直下型地震の不安から解放された!と思っていた彼女。実際の家の被害はというと、飾り棚が倒れグラスや食器が粉々に割れ、熱帯魚の水槽の水が溢れてリビングが水浸しに、でもそのくらいで済んだそうです。というのも引っ越しの際、東京時代の習慣で家具に転倒防止材をかませていたんだそうです。また子どもたちの寝室には背の高い家具類や重い物は一切置かない習慣だったので全員ケガもなく無事。地震への防災知識と習慣が役に立ったのです。

熊本の人たちは台風への備えはあるんですが、地震に対しては本当に免疫がないみたい。みなさん本当に寝耳に水だったと思います。東京の小学校では全員防災頭巾が椅子に備えてありますが、こちらでは備えがなく、大地震を想定した児童引渡し票の作成や引渡し訓練もしたことがないそうで…これからの課題でしょうね。」

断たれたライフライン。3日間は自宅前でキャンプ生活

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また、水道・電気・ガスのすべてのライフラインが断絶された時の生活を聞いてみると、ここにも防災意識が習慣化されていました

お風呂の残り湯は貯めていたのでトイレは流すことができたし、自宅の損害もそこまでなかったので、避難所へは行かず自宅前で過ごすことにしました。犬も飼っていたし。」

小さい子どもやペットが一緒だと、なかなか避難所へ行くのも気が引けてしまいます。でもトイレが近くになかったら避難所に行かざるを得ません。そう思うとやはりトイレが使える=残り湯は大事。それも蓋をしていなかったせいで脱衣所まで残り湯が流れて水浸しになってしまったご家庭もあるそうなので、蓋をしておくことが大切だそう。

「食事は冷凍庫にあったお肉などをバーベキューコンロで焼いたり、飯ごうでお米を炊いたり。お隣ファミリーと外でテントを張ってキャンプ生活でした。雨の時は雨水を溜めたりも。でもこの生活のおかげで子どもたちは少しは和んでいましたし、私たち家族だけでは情報もなく、イライラして喧嘩になったと思いますが、ご近所さんと助け合えたので徐々に落ち着きを取り戻すことができました。」

レトルトなどの食事が続くとタンパク質が足りなくなるので豆の缶詰を食べさせ、子どもたちを喜ばせるためにフルーツの缶詰を開けて…、この状況下でも『とにかく食べさせること』を第一に考えて過ごしていたそうです。

「夜はさすがにテントでは怖かったし寒さもあったので3日間は車で寝ていました。毎晩、眠った気がしなかった。でも本震があってから家の中での揺れが本当に怖くて、家で寝ようとは思えなかったです。」

その後、スーパーやコンビ二も少しずつ再開し、ライフラインも復旧。生活が少しずつ戻ってきたました。それまでの間はミネラルウォーター、缶詰・瓶詰・レトルト食品など、備蓄が習慣になっていたのが本当に役に立ったようです。彼女から防災&備蓄リストをもらったので(最終回にリストの内容はお伝えします)すぐに我が家も防災用品を見直すことにしました。

大変な中にも良いこと・救われることもあったこの1ヶ月

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引っ越し二週間で「お隣さんとはすでに運命共同体」という彼女。慣れない土地でもすぐにご近所同士支え合えたこと、本当に素晴らしいですね。給水情報やスーパーの店頭販売情報、湧き水の情報など、ご近所同士でみな共有しあったと言いいます。

「子ども会の会長さんもすぐに様子を見に来てくれて『引っ越し直後にこんなことになり、熊本人として申し訳ない…』と子どもたちにスイカを持ってきてくれたんです。その温かい心遣い、涙が出るほど嬉しかった。」

また地元・関西時代の友人で唯一熊本県在住の友人が心配して翌日軽トラで救援物資と爆笑ネタを届けてくれ、沈んでいた気持ちが一気に回復したとか。ボランティアの人たちもすぐに全国から来てくれて頑張ってくれている姿にも励まされたし、ほかにも関西や東京の友人からの激励ラインやメール、電話、救援物資などすべてが本当にありがたかったそう。

とにかく周りの人たちに支えられて生きてるってこと、身を持って感じました。あと、普段の悩みが本当にちっぽけすぎてどうでもよくなった。住む家があって、家族が無事に生きているだけでどれほど幸せなことか。」

甚大な被害・損害が出ますが、同時にそう言った大切なことを身を持って思い出させてくれます。日々の何気ない生活がどんなに大切か。私も高校生の頃に阪神大震災で被災しているので、その気持ち、痛いほどわかります。当たり前の毎日が過ごせることの有り難さ。また、人とのつながりやちょっとした気遣いがどんなに勇気づけてくれたか。

 

「この1ヶ月がもう1年以上も前のことみたい…」いつも周りを和ませ、笑わせてくれる明るい彼女も、さすがに疲労困憊な様子でした。身の回りの生活は徐々に戻りつつありますが、新たに子どもたちのことで気になる様子が出てきているようです。次回はそのあたりのことを詳しくお伝えします。

 

※この記事は2016年6月に公開された記事です。

飯田りえ

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