2016.09.23
【一緒にいてあげられない】過度に「かわいそう」と思うことは、子どもからチャンスを奪う!
「保育園に預けるなんて、子どもがかわいそう」
外野からも、自分の心からも飛んでくる言葉ですよね。
でも、なんでもかんでも「かわいそう」と思うのは子どもにマイナスだと気づきました。
そのきっかけは、「かわいそう」の最高峰ともいえる病児保育室を利用したときです。
泣きそうな私をスルーして、息子は病児保育室にノリノリで入室!
3歳の息子が取材当日に熱を出し、病児保育室を利用することになりました。
しかも2回目です
初回は、慣らし保育初日に匹敵する号泣……。
あのときの泣き声と表情が頭から離れず、罪悪感にさいなまれながら病児保育室のドアを開けました。
ところが息子はパッと明るい表情になり、看護師さんのところへダッシュ!
意気揚々と入室していったんです。
あっけにとられていると看護師さんがこう言いました。
「保育園より人数が少ないから、じっくり遊べて楽しいみたいです。帰りたくないって泣く子もいますよ」
取材を終えて迎えに行くと、「同い年の女の子がいて、ずっと2人で仲睦まじく過ごしていましたよ」との報告が。
肉食系男児にとっては、天国のような環境だったようです。
「保育園=かわいそう」は、自分の価値観ですか?
この件を通じて学んだのは、親が「かわいそう」と思っていても、子どもはへっちゃらというケースもあるということ。
そもそも、「かわいそう」とはどんな意味なのでしょうか?
辞書で調べたところ「弱い立場にあるものに対して同情を寄せ,その不幸な状況から救ってやりたいと思うさま。同情をさそうさま」とありました。
たとえば戦争で家を失った子どものニュースを見て、募金や反戦の署名をする。これは「かわいそう」が正常に稼働している状態です。
でも「かわいそう」は、自分のフィールドに相手を引きずり込み、自分を正当化する手段としても使われます。
たとえば、こんなことを他人に言われたらどう思うでしょうか?
好きな仕事をして満足しているのに「安月給でかわいそう」
旦那が大好きなのに「ブサメンでかわいそう」
これは、「仕事は高収入でなければ意味がない」「旦那がイケメンでないと幸せになれない」という自分の物差しで人を判断しているだけです。
「子どもを保育園に預けてかわいそう」と思うのは「母親は子どものそばにずっといるのが正しい」という、誰かが作った価値観に惑わされているからではないでしょうか?
「かわいそう」とは何かをしっかり定義する
無駄に「かわいそう」と思わないためには、かわいそうな状態を具体的に定義することが大切です。
私の場合、以下のようになりました。
1.家族や親戚から愛されていない
2.添加物まみれの食事やバランスの悪い食事が続く
3.親以外に遊び相手がいない
この条件を自力ですべて満たせるかをシミュレーションしたところ……、無理!!
1はともかく、2と3は保育園のお世話になっているところが大きいです。
つい先日も3連休がありましたが、1日子どもと一緒にいる専業主婦は本当にすごいと尊敬しました。私はあの状態で、毎日3食まともにつくる自信がありません。
「お昼ご飯は保育園でバランス良く食べられる」と思うだけで、気分的にラクになりますし、子どもの健康にもプラスです。
さらに、保育園では友達ができるのも大きなメリットです。もちろん仕事をしていなくても、親子向けイベントや公園で知り合う機会はたくさんあります。
でも社交的でない私には、とてもハードルが高いもの。育休中にやってみましたが、ことごとく挫折しました。
その点保育園なら、毎日会うから子ども同士も仲良しに。先月の土曜日は、保育園の友達とママと一緒に一日中遊びました。家に閉じこもっていたら、こんな機会はなかったかもしれません。
私の結論は、「保育園に預けるのは全然かわいそうじゃない!」。
むしろずっと手元に置いておくことは、色々な体験をするチャンスを奪うリスクがあります。
ぜひ一度、「かわいそうとはどういうことか」を具体的に書き出してみてください。
意外と、親の一方的な思い込みが判明するかもしれませんよ。
平田けいこ
ライター