2019.10.16
子どもを預けたくない!一緒にいたい!働くママの小さな本音と大きな葛藤
働くママたちがふと口にした言葉に、時々強く胸が打たれることがあります。ついこの間も、知り合いが口にした本音が、心に染みました。
「本当は、私だって子どもを預けたくない」
「もっと子どもと一緒にいたい」
誰もが知っているメーカーで出張もこなしながらバリバリ働くママ。朝から颯爽と背筋を伸ばして歩き、会社を抜けて保護者会にやってきて「これからまた、会社に戻るわ~」元気いっぱいに小走りで駅に向かう彼女の背中を、私は何度か(すごいな~!あんな風に働けないな~)となかば羨むように見送ったことが何度かあります。
バリキャリのママが「子どもに〝おかえり〟と言ってあげたい」と
そんな彼女と行事の担当が一緒になり、買い出しに出かけた時です。「週末は子どもと過ごしたいの、昼休みを長くとれるよう仕事を調整するから、平日でいい?」と言われ、こちらはフリーランス、もちろんいいよ、と承諾しました。買い出しが終わり、学校へ荷物を運び「まだ少し時間あるから、とりあえずコーヒー飲もう!」といって、近くのカフェに入りました。
「ほんとは、子どもを保育園に預けたくなかった」
ふいに彼女がそう言い出したので、私はちょっと意外な気がして「え、そうなの?」と問い返しました。
「子どもを保育園に預けるのも、学童にいれた時も、どちらも胸が張り裂けそうになったことが何度もある。ママ行かないでーと泣かれた時とか、残業で急いでお迎えにいったのに、部屋にぽつんと先生と1対1で座っていて、他の部屋の電気とか消えてて、私を見たら子どもがポロポロ声を出さずに泣いた時とか」
あるあるだよね~、気持ちわかるよー、と私はまた、軽い口調で答えていました。
「小学校に入ってからも、学童が嫌だったみたいで、フラフラ公園とか友だちの家を回ってるよってママ友から聞いてね。私、早退して学校周辺を探し回ったのよ」
「そしたら、ひとりでランドセルを前に背負ってさ、コンビニの前にあるベンチに座って、足ぶらぶらさせながら歌とか口ずさんでるの。その子を引っ張って連れて帰り、ちゃんと学童へ行きなさい、嫌なら嫌とママに言って、それなら留守番する方法を考えるのに! 黙ってこんなことをして! と怒鳴ったんだけど、ただ、その、ひとりで足ぶらぶらさせて座ってた姿、そっと近づいたら小さな声で歌うたってるわけじゃない、それがなんだかわからないけど切なくってさ~・・・」
「保育園もけっこうずっと嫌がってたんだよね。もちろん、保育園はプロだからさ、みんなこんな感じですよとは言うけど、わかっていても、しくしく泣かれると辛いし、じゃ笑ってればいいのかっていえば、そうでもないのよ。夕飯の時とか、うん、楽しいよ、と笑うけど、なんかそれが本当に思えない時期もあった。親にも我慢して、楽しいよって言う、言わせているのかと思うと、なんかねぇ」
「だって、保育園にいれるのかわいそうとか言う人、信じられないってずっと言ってたじゃない。いろいろな大人に見守られて育つのだって良いことだって、そう言ってたじゃない?」
と私が問いかけると
「それは、自分にそう言い聞かせてたの。確かに本当にそう思ってもいるのよ、でも、同時に、ああ、子どもを預けたくないなぁ、一緒にいたいなぁってどっかで思ってる自分もいるの」
もう小学生だし、悩む必要はないって思ってる。学童嫌だと言うから家で留守番できるようにもした。それでも、と彼女は続けました。
「会社でね、ふっとした瞬間に子どもがひとりで留守番してる、ああ帰りたいなって思っちゃうんだよね、もうずっとね、日に何度かね、帰ってオヤツ用意しておかえりって迎えてあげたら、どんなに喜ぶだろうなーって想像しちゃってね」
でも、実際にはそんなことはできないし、しないし、たぶん、これからもやらないけど。肩をすくめながら「仕事はいいの、でも、子どものことになるとずっと迷ってばかりで、正しいことをしているっていう自信みたいのは一生ないんだろうねぇ」と言いながら、あ、やばい時間だとコーヒーを飲み干して、やっぱり小走りに駅へと向かっていきました。
私たちも葛藤してます「働くママの本音」を紹介
「これでいいのかなと思う日々」
仕事は大事だし、それは私のやり甲斐や大げさに言えば人生の目標ともなっている。それでも1歳2ヶ月から保育園に預け、、1日24時間のうち、8時間以上の「子どもと過ごす時間」を私は自ら手放している、と、思うことはある。預けることがかわいそうと言われるとムカつくが、かわいそうではなく、貴重な母子の時間を私はもしかして毎日失っているのではないか、と、時々むしょうに「これでいいのかな」と自分に問いかけてしまう(Aさん/31歳/子ども 3歳)
「子どものためにと思って働いているけれど」
夫の給料だけでは、マイホーム購入が精一杯、子どもに充分な教育費を用意するのは難しいです。だから子どものためもあって働いているのに、子どもは保育園から小学校入学後も学童で、平日に親と過ごす時間はわずか。子どもが将来、留学をしたい、私立の学校に行きたい、希望する進路ができたら「いいよ、やってごらん!」と送り出したいからこそ頑張っています。でも、もしかしたら子どもはその時に「うちはそこまで余裕がないから、これでできる進路を考えて」と言われても案外納得するのではないか、幼児期に親子でたっぷり遊んで過ごす日々の思い出のほうが大きいのではないか、と思うことも。わが子のためにと選んだ結果が良いのか悪いのか、まったくわからない。だから、ずっと小さなモヤモヤが消えないです・・・(Mさん/39歳/子ども 3歳・6歳)
「中途ハンパな自分が嫌になる」
私は3歳までは母のもとで育てるという三歳児神話は信じていませんが、もっと別の意味で、ママを楽しむ、子どもとめっちゃベッタリ張り付いて過ごす時間のほうが、今、手にしている収入よりもずっと価値があるのかも、と思ったりはします。でも、働かずに家にいて家事して・・・って、そういう自分の姿も想像つかない。社会に接点のない自分っていうのが、嫌なんです。責任ある仕事を任され成果がわかり、達成感もある。仕事をすることは私にとっては大切なこと。でも、可愛い盛りで毎日成長している子どもの側で過ごしたいとも思う、堂々巡りです。こんな中途半端な気持ちを持ったまま、仕事も子育てもしている自分が、イヤになるんです(Uさん/29歳/子ども 2歳)
子育て期が終わったママたちが思うこ「あの頃」
「もう一度子育てのチャンスがあれば・・・」
失敗したとは思っていません。働く姿を見せることも子育てのひとつだと思うし、私は自分のやりたいことを「子どもがいるから」を言い訳にせず、やり通してきたのですから納得もしています。ただ、成長した子どもがあっさりと家を出ていき、今、夫婦ふたりになって、心にぽっかり穴があいたようになってしまって・・・。その穴は2歳、3歳という可愛い盛りの時間を最低限しか持てなかった、持とうとしなかったことにあるように思えてならないです。あの時、キャリアという言葉にどうしてあれほど惹かれたのだろう、と。確かに私は管理職になり、今も最前線で働いている充実感はあります。だけど、あまりに普通に、淡々と子どもが独立し(それが成長の証であっても)、もう自分の人生を歩んでいるのを見ると、時を巻き戻してやり直したい、もう一度子育てのチャンスがあれば、と、すごくすごく思ってしまうんです(Fさん/54歳/子ども 23歳)
「いつか自分も納得できると思っている」
子どもたちはあっけらかんとしていますね。長男は25歳、社会人としてひとり暮らしをしていますし、下の娘も今年大学を卒業し、近所ですが独立しました。ママが仕事して、いつまでも老けないから良かったよ、と娘は言ってくれるし、長男も「お母さんはずっと忙しく働いてて、淋しいと思ったことはあるけど、いい意味での放置で、だから早く自立できたと思ってるし、今は感謝してる」と話してくれました。でも、やっぱり淋しかったんだなぁと思いました。いくら大きくなって「ママが働いててよかったと思うよ」と言われても、なにげなく言われた「淋しかったけど」その言葉のほうが大きく大きくのしかかってくるんですよね。でもこれもまた、数年たって、子ども達が親になったりしたら、そして共働きを経験したら、私の立場や考えももっと深く理解してくれるだろうし、私自身も「預けたくはなかったよ、でも、仕事をすることも諦めたくなかった」葛藤しながら頑張った自分をもっとハッキリと認められるのではと思います(Eさん/51歳/子ども 25歳・22歳)
働くママが通る「子どもといたい」願う心の葛藤
復職してすぐかもしれません。泣き叫ぶわが子に後ろ髪を引かれる思いで会社へ向かう駅までの道。あるいは、しばらくして子どもはすっかり保育園や幼稚園になれてきたというのに、そして自分も仕事のペースもつかんできた頃に、母子で買い物する姿をちらっと見て、そういえばゆっくり子どもと買い物すらしていない、と思う時かもしれません。
働くママの多くが、どこかで一度や二度は「仕事はしたい、でも子どもとの時間ももっとあればいいのに」そう願い、そして仕事をすることで必要なお金を稼ぎ、あるいは望むキャリアややり甲斐を得られることに納得しつつも、「これでいいのかな」立ち止まり、今歩む道を戻ってやり直したくなることはあるのかもしれません。
子どもを預けてまで働く意味があるの?
これは永遠に問いかけられる言葉ですが、正しい解答などありません。人それぞれといえばそこまでですが、揺れ動き、戸惑い、思い直し、また迷い、そうやって「お母さん」は一生懸命働いている。きっぱりとした信念のもと、子どもを預けて働くことに一縷の疑問も持たずに仕事に邁進できる人はごくわずかです。
悩んだり後悔することが多い日々が、働きながら子育てをする現実です。でも迷う背中も、酔っ払って「ごめんよぅ、淋しい思いさせてるのかなぁぁぁ!」なんて嫌がる子どもを抱きしめる両腕も、あたふたとスーパーの袋片手に大きな音をたてて「ただいまっ!帰ったよ!ちょっと宿題やってあるっ?」と怒鳴っている声も、子どもにとっては「わたしのお母さん」ですよね。
一緒に過ごせれば一番いいと思うけれど、子どもが「ママはそこにいる」と思える存在感が家の中にあれば、いえ、子ども自身の心の中にあれば、親子の絆はつながっている、と、私は思っています。
大橋 礼
ライター
年の差15歳兄弟の母。DTP会社勤務後、フリーで恋愛・料理・育児コンテンツを執筆中。今や社会人長男のママ仲間とは「姑と呼ばれる日」に戦々恐々しつつ、次男の小学校では若いママ友とPTAも参戦中。飲めば壮快・読めばご機嫌!本とお酒があればよし。