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2019.12.26

「家族だからわかり合えないことがある」子どもや夫の言動にイライラするのは当たり前!



「どうして、そんなこと言うわけ!?」
「なんで、こんなことするの?」

親子でも夫婦でも、よくわからないことを言い出したり、理解不能の行動をとったりして、ビックリすることってありませんか?
どうして? なんで? と、問い詰めはしないものの、心の中で疑問に思ったり、状況が飲み込めず不安に思ったりすること、わたしは時々あります。悩んだ末に理由を聞いてみると、相手は「え、ママならわかってると思ってた」と言うので拍子抜けしたり、逆にますます相手の言いたいことの意味や、行動の理由がわからず(話してくれなかったり、話してくれても意味不明だったり!)どうしたものかと頭を抱えることもあります。

そう考えてみると、家族だからって、なんでもわかり合えるわけではありません。家族の絆という言葉はとても美しい響きだし、実際に目に見えない絆に助けられることも多い。でも、なんだか「家族だからわかり合えるはず」の「はず」に縛られて、よけいな不安や苛立ちを抱えることも、実はけっこう多いような気がするのです。

夫はいちばん近くにいる「他人」


日々、共に暮らす夫のことは、おおかた「わかっている」と思いがちです。

「おおらかなタイプだけど、店に入って頼んだ食事やお酒が出るのが遅いと、イライラして八つ当たりする」
「歯磨き粉はどうしても○○でないとイヤがる」
「くたくたになった破れそうなパンツが大好きで、新品を買っても、なかなか新しいのをはこうとしない」
「金曜の夜や土曜日に出かけるのは大好きだけど、日曜に前もって予定をいれようとすると、いい顔をしない」

と、これは我が家の話ですが・・・。

毎日暮らしているからこそわかる、夫のクセや習慣や嫌がるポイント、怒りの沸点を把握しています。

ところが、たまにですが、思いがけないような行動をしたり、今なぜ「そんなことを言い出すの?」という言動があり、困惑します。場合によってはこちらが苛立ちを覚えることもあるし、わからない自分に対して不安を感じることもある。20年以上暮らしていても、夫は一番そばにいる「他人」なのだと、ふっと思ったりします。

わが子は分身ではない・・・


「うちの子に限って」という言い方もよくしますが、我が子のことは、あるいは夫よりも、もっとわからない部分があります。「うちの子はこういうタイプだ」と思っていたら、保育園や学校で、まったく違う顔で過ごしていることを知り、愕然とする経験をするママも少なくありません。まさに「ウチの子に限って」です。

幼い頃に唐突なことを口にしても、無邪気で可愛いと思いますが、やがて、子どもが何を考え、どうしてそのような行動をとるのか、まったく理解できない時も出てくるでしょう。たとえ、理解できなくても、家族だから受け止められる「かも」しれません。でも、家族だからといって、母だからといって、〝なぜ?〟と思うような行動や発言を、いつだって受け止めるのが当たり前なのでしょうか。受け止めて、常に励ましたり慰めたり導くべきなのが母親のつとめだとしても、それができないことだってあるでしょう。

子どもは、まだ言葉もしゃべれない頃から育ててきた、いわば分身ともいうべき存在です。でも、決して「分身」ではなく、ひとりの人間です。

そして、母もひとりの人間です。

子どものやることなすことが理解できず、途方にくれることがあるのは当然です。わからず、苛立ち、「なんでそうなるの!?」と思わず声をあげてしまうことだってありますとも!

家族という言葉、母という言葉の持つ「神聖で正しく温かい雰囲気」が、時に、母親や家族に逃げ場を失わせるほど大きな重圧になったりするのです。母も父も妻も夫も子どもも、それぞれの胸に抱える、それぞれの思いがあり、そのすべてを家族だからといって把握しきれるわけではない・・・と、わたしは思います。

理解しようと努力するべき時と放置していい時を感じ取ろう!


家族という結びつきは、素晴らしい宝物です。気に入らないことがあろうと、ケンカしようと、最終的に相手を許しちゃったりするし、けろっと忘れてしまったりもするし、まぁいいか、しょうがないわと思ったりします。

ところが、まぁいいわ、しょうがない、では割り切れない気持ちが残ることもあり、そんな〝モヤモヤ〟が次第にふくれあがってくると、「どうしてわかってくれないの?」という怒りにも似た思いに変化していきます。

わからないことはわからない。理解できないことは理解できない。赤の他人に対しては、「わかってもらえないこともある」とおさめることができるのに、家族が相手となると、わかってくれるはずなのに、わかり合えるはずなのに、と、「家族だからわかり合える」ことだけに縛られてしまうのですね。

わかってもらえなくてもいいや、ということと、ここは絶対に理解してほしい、ということと、物事は大きく見ると2つに分けられます。

「まぁ、しょうがないか」と思えるなら、さっさと忘れてしまいましょう。でも、これは私にとって大切なことだ、と思ったら、あるいは、わが子や夫のことで「理解できないけど、これを放置していたら、いけない気がする」と思ったら、その時はあきらめず、一生懸命に相手に問いかける、自分の気持ちをぶつけていくことも必要なのかな、と思います。

気を遣わない存在、空気のような関係とよく言いますが、やっぱり家族だって、相手に対する思いやりを持たなかったら、相手への気持ちをおもんばかることをしなかったら、だんだんと不信感が広がったり、信頼感を失ったりすることもあるかもしれません。

家族だからわかり合えるはずと自分をがんじがらめにせず、相手に理解を求めすぎず、でも、相手の立場になって思いをはせてみる努力もしてみる、ちょうどよいバランスを持てるといいのですが、これがなかなか、できませんね。

肩の力を抜いて、ポイ!と捨ててしまっていいようなことなら「ま、いつものことだわ、しょうがない」。そして肝腎なときだけは、家族だからこそ、向き合って、とことん話し合ってみる。

もうひとつ加えるとしたら、時が解決するというのも、よくあること。過ぎ去ってみると、後から「あの時の夫の気持ちがようやくわかった」「うちの子が言いたかったことは、このことだったのね」と腑に落ちることも出てくるのではないでしょうか。

歳月という「家族の絆」は必ず、あなたの後ろにある!


まぁ、しかし、わからないことがあってもいいじゃないですか、だってもともと赤の他人である夫と、それぞれの血をひいたにせよ、自分とはまったく違う「わが子」という存在が、ひとつ屋根の下で暮らしているのですから、軋轢やケンカや苛立つ場面があって、当たり前なんです。

歳月という年月が、たとえ全てをわかり合えなくても、家族の絆をしっかり結びつけていくものです。

年の瀬、12月。今年も1年が終わろうとしています。あなたの家族も、1年365日という年月を重ねてきました。今年もまた、あなたの後ろに家族で歩んだ日々がある。歩んだ日々が、知らないあいだにできる「家族の絆」であり、見えない絆の力が、きっと、「家族だけどわからない」ことが起きたときに、家族を底から支えてくれる太い根っこになってくれると、そんな風に思っています。

大橋 礼

大橋 礼

年の差15歳兄弟の母。DTP会社勤務後、フリーで恋愛・料理・育児コンテンツを執筆中。今や社会人長男のママ仲間とは「姑と呼ばれる日」に戦々恐々しつつ、次男の小学校では若いママ友とPTAも参戦中。飲めば壮快・読めばご機嫌!本とお酒があればよし。


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