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2020.07.07

「部屋が水没」「子ども2人乗せた状態で大転倒」ワーママたちの焦った!つらかった!事件


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子育てをしながら働いていると、「この時期がいちばんつらかった」、「こんなことがあって本当に大変だった」など、記憶に残る出来事があると思います。今回は、ワーママたちがピンチに陥った様々なエピソードを紹介します。

病気や怪我はワーママの命取り!?


子育て家庭では、家族の誰かが病気や怪我でダウンしてしまうと途端に夫や妻の負担が増えるもの。とくにママがダウンしてしまうと家庭がまわらなくなることも…。

肺炎! 入院! 復職1ヶ月で娘が…
育休を終え、娘も保育園にも慣れ、自分も仕事に身を入れて頑張れそう!と張り切っていた復職1ヶ月後、娘が突然の高熱。風邪だと診断されたので、心苦しい中有休を取り看病するも、数日経っても高熱が続き苦しそうだったので、再受診するとなんと肺炎!頭は真っ白、パニックに。
もちろん娘を心配する気持ちが一番大きかったですが、すぐに「仕事大丈夫かな。どれくらい会社を休まなくちゃいけないだろう」ということが脳裏をよぎってしまいました。結局2週間の入院が必要となりましたが、すでに数日休んでいるしこれ以上は休めない。
日中は完全看護で観てくれる小児総合病院を探し、そこに入院させてもらうことに。夕方退社した後は病院に直行、夕飯を食べさせ、自分は病院のラウンジでかき込むように夕飯を済ませ、院内のラウンドリーで洗濯をし、2日に1回シャワーを浴びる。夜はそのまま子どものベッド横に簡易ベッドを設置してもらい寝ました。熱のつらさや苦しいのもあるのか夜泣きがひどく、ほとんど抱っこで過ごしましたね。娘が「ママじゃなきゃ嫌!」状態だったので、主人と交代することもできず。そんな生活が2週間続き、もう心身ともにボロボロ…正直地獄でした。何とか気力だけで乗り切った感じです。
今思えば一番つらかったのは、仕事が忙しい主人にも遠方の両親にも、職場の同僚にも笑顔で「大丈夫」と頑張ってしまい、誰にも頼れなかったこと。
夜中娘を抱きながら泣いたのを覚えています。でも、この経験が私を人としても母としても強くしてくれたと思います。今ではちょっとやそっとのことではへこたれなくなりました!A子さん(営業職、40歳、子ども3歳)

私がインフルエンザ!10日間寝込む
上の子が2歳の冬、ちまたでも保育園でもインフルエンザが大流行していた中、なぜか家族で私だけインフルエンザに。しかも重症で動くこともできず、ほぼ10日間寝たきりに。
家のことは主人と主人の母でこなしてくれたのでなんとかなったものの、大事なプロジェクトのチームリーダーになったばかりだったので、もうろうとする頭で仕事のことばかり考えてしまい、思わず1日に何度も会社に電話してしまったことも。「こちらは全然大丈夫だからゆっくり治して」という同僚の言葉になぜかショックを受けましたね(笑)。
なにより一番つらかったのは、インフルエンザが移らないよう隔離生活なため、ドアの向こうで「ママに会いたい」と泣き叫ぶ子どもの声を聞くことでした。でも数日後、子どもも状況を飲み込めてきたのか、「ママ大丈夫?待ってるからね」とドア越しにかけてくれた言葉にジーンと来ました。今思い出してもうれし涙が出ます。
めちゃくちゃつらかったですが、この経験が親子を成長させてくれた気がするし、子どもの、親を気遣う心が芽生えたいい機会だったと、今は思えます。
T子さん、(外資系IT社員、33歳、子ども4歳、1歳)

子ども2人乗せた状態で大転倒!
忘れもしない2年ほど前の朝。自転車の前後に子どもを乗せ、いざ保育園に出発!とこぎだしたときです。焦ってあまり下を見ていなかったので、私道の溝に車輪がはまってそのまま転倒。一瞬のことで、子どもを守る暇もありませんでした。しかも電動自転車だったので起こそうとしても重い。
起こすのに必死になる余り、泣き叫ぶ子どもたちに「大丈夫?大丈夫?」と声をかけるものの、ちゃんと状態を確認していませんでした。
ちょうどそばを通りかかったサラリーマンの方に手伝って起こしてもらうと、なんと前に座っていた娘の顔が血まみれに!!! もう頭真っ白、パニックでした。後ろに座っていた息子は膝をすっただけ(といっても、ジーンズのズボンが破れるほどすれていました)。
とにもかくにも血まみれで「痛い痛い」と泣き叫ぶ娘をなんとかせねば!!とパニくっていると、助けてくれた方がすぐにスマホで受け入れてくれそうな病院を探して電話してくれたのです。お礼もままならぬまま、すぐさま自転車で病院に向かいました。右側頭部が少し切れているのと、鼻血ですごい出血量に見えたようです。ヘルメットはかぶっていたものの、衝撃で脱げてしまい頭も打っているかもしれないとのことで、一応CTも撮ってもらうことに。幸い頭の中はなんともありませんでした。診療が終わった瞬間、ただただホッとしたのと申し訳ない気持ちで、ボロボロ涙がこぼれ落ちる私に、看護師さんが、「お母さん、大丈夫? 大変でしたね。お母さん自身もけっこうなケガされてるの知ってました?」と。
自分の膝を見てみると、厚めの黒タイツが見るも無惨にビリビリになっていて、大量の血と砂利がこびりついていました。そこで初めて強烈な痛みを感じたのです。自分がどんなことになっていようが、まずは子ども。人間も本能でそう思う瞬間があるのですね。「母は強し」とはこのことかも、なんて思いました。この出来事があってからは、自転車に乗るときは、朝どんなに焦っていようが間に合わなかろうが、まずは周りや足下をよく見ること、スピードを出さず安全運転に徹しました。Iさん(37歳、事務職、子ども7歳、5歳)

えー!!こんなことってある?な衝撃事件


日々暮らしているなかで、こんなことある?こんなはずじゃなかった?という出来事もよくありますね。気持ちの準備もできてない分、衝撃はすごい!?

部屋が水浸し! 復職前日のショッキングな事件!
忘れもしない今から10年前の復職前日、豪雨音で目が覚めてみると、なんと天井から滝のように水が落ちているのです。「え?! ここマンションの10階だよね?!」もう大パニック!原因は上階の水道管の破裂。子どもはおびえて大号泣、かろうじて水が入ってこない物置で眠れぬ一夜を過ごしました。
翌朝部屋を見回すと、床・天井・壁・家具・家電・洋服・靴、すべてが水浸し。この日のために1年かけて少しずつ気持ちや身辺の準備をしてきた復職の朝、大げさですが、本当に絶望のどん底に突き落とされたような気持ちでした。
何も考えられないまま仕度をし、子どもを保育園に送り、とりあえず出社。上司に事情を説明し、その日は夫婦共に午後半休を取り、後片付けに追われました。あまりの被害のひどさに、思い切って引っ越しを決意。しばし実家に避難しながらの物件探し、その間の息子の高熱、そして引っ越し…もう詳細は思い出せないほどつらい数週間でした。
いまでもよく乗り切れたと思います。でも、この経験があって、「どんなことがあってもどうにかなるもの」と思えるようになったし、土壇場でも迷うことなくパッと決断できるようになりましたね(笑)。Mさん(42歳、ライター、子ども15歳、12歳、6さん)

家でやってるから大丈夫と思っていた「耳垢取り」で大変なことに
子どもの耳あか、今では耳鼻科で定期的に取っていますか。長男が2歳くらいまでは、1週間に1回お風呂上がりでふやけた状態の時に綿棒で取れば十分と思い、保育園の耳鼻科健診で「耳あか」で引っかかり受診をすすめられるまで耳鼻科に行ったことがありませんでした。そして耳鼻科へ行ったところ…両耳急性中耳炎との診断が! なんとその場で両耳切開となりました。まだ2歳になったばかりの息子、じっとしていられるわけもありません。
これって手術? 大がかりななにかが始まるの? 息子はすでにその時点で大号泣&大暴れ。「準備ができたので、ママはお子さんの頭をこちらに寝かせてください」と言われ、息子の体は漁師が使う投網のような道具で、す巻きのようにグルグル巻きにされ、暴れようにも暴れられずこの世の終わりかと思うほどの大泣き。そんな息子の姿を見ているうちに涙があふれ、心の中で何度も何度も「ごめん」と謝り続けました。ママ友の「耳あかはできれば耳鼻科で取った方がいいよ」という言葉に耳を貸さず、風呂上がりに綿棒でごっそり取れるからいいかー、などと高をくくっていた自分を責めました。
Tさん(40歳事務職、子ども11歳)

うっかりやってしまった痛恨のミス


バタバタと忙しい毎日。ひとつのことに集中したくても、赤ちゃんが泣いたり、子どもに声をかけられたりして、ありえないミスをしてしまうことも。

いざ写真整理、それが悲劇を招く!
第一子のとき、張り切ってデジカメを買いなおし、カワイイ寝顔やあどけない横顔、裸、後頭部のハゲやらとにかく撮りまくっていました。そうこうしているうちに、あっという間にSDカードの容量がMAXに。子どもが寝ている間にと、データ整理&容量を減らすために不要な写真を1枚1枚選択して削除、削除、吟味して削除をしていました。その時です!子どもが泣き出し焦ったのか知らないうちに、「全てを削除」を指定→確定を押してしまったのです! あんなに撮りまくったカワイイ我が子の写真がすべてパー! 言うまでもなく、しばらく現実が受け止められず放心状態。当時、削除してしまったものを復活させるソフト(アプリなんてまだない頃)があると聞き、友だちに聞いたり自力で操作したりしましたが、結局画像は戻って来ませんでした。その間1ヶ月ほど、毎日カメラやPCと格闘し、写真のことで頭がいっぱいでしたね。今では笑い話ですが、あの1ヶ月は本当に後悔しか胸になく、つらい日々でした。(47歳、事務職、子ども8歳)

「つらい経験」はきっと「強さ」へとつながるはず!


皆さんそれぞれかなりつらい経験をされていますね。
つらくて暗いトンネル時期は必ず誰にでもあるもの。でも、それを経験したからこそ分かること、強くなれることもあるようです。
今皆さんが落ち着いて、時に笑いを交えて話してくださったことが、その強さの証なのかもしれませんね。

つらい思いをしているのは決してあなたひとりだけではない、そしてそのトンネルは必ず抜けられるトンネルなのです。

※この記事は2015年6月に公開されたものです。

田崎美穂子

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