2020.11.06
子育て神話が母親の罪悪感をあおる!?大切なのはリアルなママの経験と声
子育て論を見ていると、様々な「神話」が出てきます。皆さんもよく知っているのが3歳児神話でしょう。3歳までは子どもは母親の手で育つのが理想、といったような内容です。
子育て神話には、確かにうなずける部分もあります。でも神話ゆえに「そうしなくてはならない」「それができないのは悪い母親」といったイメージがひとり歩きしていることも否めません。
では代表的な子育て神話にスポットをあてて見ていきましょうか。
母性神話
母性本能という言葉は、母親にとっては諸刃の剣です。子どもに対する無条件の愛情は母親にあって当然のもの、とされます。
聖母マリアのごとく、常に慈悲深く、何があっても子供を憎まず、子育てが面倒くさいなんて思ってはいけない。だって、あなたは「お母さん」なのだから?
子供の相手が苦手だったり、わが子であっても憎たらしく思い、時には子育てに嫌気もさすでしょう。その気持ちをポロリとこぼしでもしたら、母性が欠けていると断定され、母親本人も「私は母性がないのか」と不安になります。
逆に言えば、母性神話の怖さは、そうして「子どもをずっと愛するもの」としての理想的な母親像にとらわれた結果、自分にはできない、自分は子どもを愛していない・愛せないと思い込んでしまうことです。追い込まれた末に、本当に子どもを傷つける虐待に繋がることがあれば、母性神話は刃となる危険性がないとは言えません。
母性本能と言いますが、本能をはずして「母性」として見たら、私たち親は多くの場合、自分の母親や育ててくれた身近な人から「母親としての役目」を学びます。親が子を育てるというのはこういうことだ、と自分が成長した過程で得たものです。
母性は誰もが無条件に持っているというより、自然と育まれていくものではないかな、と思っているのですが、皆さんはいかがでしょうか?
3歳児神話
母性神話と同時に、もっともよく話題になるのが「3歳児神話」です。子供は3歳までは母親のもとで育つのが良い、という定説です。
これは本当に広く信じられていて、特に私たちの両親世代は絶対的な信頼を持つ人が多くいます。ですから姑や母親から、保育園に入れたりすると「かわいそう・・・せめて子どもはやはり3歳までは親のもとで」などとつぶやかれてしまうんですね。
3歳児神話に科学的な根拠がないことも、実はよく知られています。実際に、母親が働きに出て保育園に預けた場合、子どもの発達に悪い影響がある、というデータはなく、厚生労働省も「合理的な根拠はない」としています。
それなのに、どうしてここまで3歳児神話が根強く残っているのでしょうか。
子どもの成長にとって、生まれてから3歳くらいまでが非常に重要であることは事実です。30歳と33歳の間に大きな違いがあるとは思えませんが、0歳児と3歳児ではまるで違います。
お誕生からわずか3年で、子どもはグングンと育ち、あらゆる周囲からの呼びかけ、言葉、愛情、刺激を吸収し、ひとりで歩き、食事をし、話し、周囲とコミュニケーションまで取れるようになるのです。驚異的な3年という成長の日々です。
3歳児神話は「3歳まで母親の膝下で育てる」のが最重要なのではありません。この3年間がいかに子供が大きく成長する時期か認識すること。そして子どもが沢山の愛情シグナルを、母親も含めた周囲の沢山の人から受けられる環境にあって欲しいと思います。
子育て神話と罪悪感
神話が、一種の子育て格言として残っていくこと自体に大きな問題があるとは思いません。しかし、神話ゆえに、神聖な、揺るぎない真実として母親の前にそびえ立ち、それが模範であり理想であると強く信じられてしまうと、はじき出されてしまったママたちは呆然とするでしょう。
その先にあるのは
「誰もが当たり前にできているのに、わたしはやれない、できない」
何かが自分には欠落しているような感覚と共に、次第に深まる罪悪感です。私はこの罪悪感がとても怖い。罪悪感に打ちのめされるうちに、それが逆転し罪悪感の元凶は何かと探し出せば、やがて子どもに対する理由なき憎悪へとつながる最悪のケースもあるからです。
子育てでは、母親なんぞ、しょっちゅう反省をし、後悔をし、落胆をすることの繰り返しです。なぜなら、母親は神話に出てくる女神でもなく、ひとりの感情をもつ人間だから、です。
神話より実話・口コミ・体験談が今のママを支えている
多くのママが、もっとも身近に子育ての愚痴や弱音を吐き出し、励まし合っているのはすぐ側にいるママ友でしょう。ママ友は様々なトラブルが取り沙汰されがちですけれど、でも、同い年の子どもを持ち、今まさに大変なこと、些細なことだけどとてもリアルな出来事を共有できるママ友との会話=実話こそが、「なんだ、ウチだけじゃないんだな」とママをホッとさせているのではないでしょうか。
子どもが寝ついたちょっとした時間、スマホで「子ども 寝ない」「子育て 疲れた」・・・そんなキーワードで検索し、誰かのブログや体験談、知恵袋や掲示板のやり取りを読みながら「うんうん、そうなんだよな」とひとり納得したり、誰かの子育ての知恵や寝かしつけテクニックを「へぇ」と思って見たりする。
ひと昔前なら「育児書」を読みあさっていたママたちは、今、SNSで繋がる、顔は知らないけど「同い年の子どもを持つママ」と深夜に夫にも言えない小さな小さな、でも辛い気持ちを吐き出している。「うちだけじゃない」「みんな一緒なんだな」ようやく子育ての不安を共有し、ホッとしながら平穏な心を取り戻して、お布団にもぐりこむ・・・。
広い地球上のどこかにいる、似たような自分。実際に会ったことがなく、いつしか子どもの成長と共に繋がりは薄れていくことも多いけれど、ある一時期、どこの誰よりも深く繋がっている感覚を持ち、お互いに支え合う。
私はそれこそが実話ではなく、神話のように思えてなりません。この「小さなネット上の繋がり」で大変な子育て時期を乗り切るママが増えているのだとしたら、新しい神話が生まれつつあるのでしょうか。
子育て神話にせよ、体験談にせよ、ネット上の繋がりにせよ、あなたを支えてくれるのなら、それを信じてみてもいいと思います。何かを支えにしないと子育てが苦しくなる時は、誰にでもあるものですから。
その信じているもの、支えてくれるものが絶対ではないかもしれません。子どもの成長と共に、あるいは自分が変わると共に、あなたは又、別の支えや信じるものが必要になるかもしれません。
ちょっと不遜な言い方かもしれませんが、わたしは子育て神話は占いと同じように捉えています。良いことは信じて、悪いことは信じない。自分にとっていいなと共感できたら神話を頼りにもしますし支えにもします。そして、ちょっと違うんじゃないの?と思ったら気にしません!
子育てにまつわる数々の神話、知っておくのは悪いことではありませんが、それにがんじがらめにならぬ程度に聞き流す鷹揚さも必要なのかもしれませんね。
※この記事は2018年4月に公開されたものです。
大橋 礼
ライター
年の差15歳兄弟の母。DTP会社勤務後、フリーで恋愛・料理・育児コンテンツを執筆中。今や社会人長男のママ仲間とは「姑と呼ばれる日」に戦々恐々しつつ、次男の小学校では若いママ友とPTAも参戦中。飲めば壮快・読めばご機嫌!本とお酒があればよし。