2021.04.09
【うちの子専門家】発達障害&グレーゾーンの子育て本を執筆した「楽々かあさん(大場美鈴さん)に聞いてみた!
なんだか子どもの成長がゆっくりな気がする、なんとなく気になる行動があるなど、子どもの発達に疑問を感じる保護者がいたり、実際、発達障害を診断されたお子さんは少なくありません。
今回は、3人の子どもたちの育児(長男(ASDの診断とLD+ADHDの傾向があり)、次男・長女(いくつか凸凹特徴があるグレーゾーン))のかたわら、「楽々かあさん」として発達障害&グレーゾーン子育てのコツやアイデアをシェアする活動をしている大場美鈴さんにお子さんが発達障害と診断されたきっかけやママとしての気持ち、小学校にあがってからの過ごした方についてインタビューをしました。
ご自身の著書である「発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた 楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換」は大好評で、現在15刷重版という快挙を成し遂げています。お忙しい中、ご快諾頂いたインタビューでは、2021年4月に高校1年生になる「長男の息子さん」を中心にお話を伺っています。
発達障害と気付いたきっかけや診断までの流れ
Q:小学校1年生でお子さん(長男)が発達障害と気づかれたきっかけや、当時の主な行動は具体的にどのようなことでしたか?(未就学の時に気になる兆候や行動はありましたか?)。また、検査や診断を受けるまでのだいたいの流れを教えてください。
長男は、赤ちゃん時代は、頻回授乳でようやく寝付かせても少しの物音でスグ起きてしまうなど繊細なところがありましたが、よく笑うかわいい子でした。言葉も少しおしゃべりなくらい。幼児期は活発でよく動き、出かければ2秒でいなくなるので、ちっとも目が離せませんでしたが、第一子だったので「子育てって大変だなあ。でも、みんな通る道なんだよね」と思っていました。乳幼児健診でも、特に何か気になる点を指摘されることもありませんでした。
入園してからも、数字や宇宙が大好きな好奇心旺盛な子で、一人遊びが好きなものの、時々男の子達のヒーローごっこに混じることもでき、運動会や発表会では棒立ちになることもありましたが、「少し変わった子」程度の認識でした。ただ、園自体はなかなか好きになれず、登園しぶりが3年間続きました。でも、下の子達が次々と生まれたこともあって、「赤ちゃん返りね。じきに落ち着くから」「小学校に行ったら楽になるわよ」なんて、他のママさん達には慰められ(?)、「そんなものかな」とも思っていました(当時の私は「発達障害」という言葉すら、知りませんでした)。
ところが、長男が小学校に入学すると、楽になるどころか、本当に毎日が大変になってしまいました。ランドセルの中身は空っぽで帰るし、登下校でもトラブルばかり。宿題の漢字書き取りは泣いて嫌がるし、クラスのゲームに参加できずに教室を飛び出てしまったことも…。途方にくれていたある日、たまたまパパが読んでいた本で「発達障害」という言葉を知り、「ああ、そういうことだったのか」とストンと腑に落ちました。
そしてスグに、ネットで検索した近隣の専門病院に初診の予約を入れました。予約から初診まで3ヶ月程待ったので、その間、カウンセリングを受けたり、発達障害に関する本を読んだりして過ごしました。
初診の時は、母子手帳を持参して乳幼児期の長男の様子を詳しく話したり、今の学校での様子や困りごとや心配な点などを、本人を交えてじっくり話を聞いてもらったように思います。その流れで、知能検査もすることになり、事前説明、検査、結果報告の3回に分けて行われました。結果報告では、臨床心理士さんからは「高いほうと低いほうの、数値の開きがかなり大きいから、学校生活は大変だと思います」と言われました。そして、お医者さんが総合的に判断し、長男には、発達障害の1つである、ASD(当時の基準で、アスペルガー症候群)の診断が下りました。
そして、その結果をもって、担任の先生やスクールカウンセラーの先生とも相談しました。スクールカウンセラーの先生は発達障害についても詳しかったので、担任の先生に長男への対応方法をアドバイスして下さったようです。
それを機に、担任の先生が柔軟に対応を変えて下さったことなどで、それまで「国語のある日は学校行きたくない」と、毎朝長男に玄関先で泣かれて困っていましたが、なんとか登校できるようになりました。
子どもの障害についてママの受容までの時間
Q:お子さんの障がいについて、どのように受容されましたか?また受容までにどのくらいの時間がかかりましたか?
診断が出て即!です。なぜなら、それまで私はほかのママさん達と同じように、できたことがあれば褒めて、いけないことをしたら叱って…と、私なりに一生懸命「フツーの子育て」をしていたつもりでしたが、私の言葉も、愛情も、何もかも長男にはまっすぐに伝わらず、全然うまくいかなかったからです。周りからも「ちゃんと叱ってる?甘やかし過ぎでは?」とか、逆に「厳しすぎるんじゃない?」等と、自分の子育てを責められているような気持ちになることも度々ありました。また、登園・登校しぶりや友達トラブルなどの悩みは、他のママさんには相談できませんでしたし、長男が学校で叱られるたびに自分まで叱られたように落ち込んでいたので、孤独で自信のない育児をしていました。
だから、お医者さんから「発達障がいがある」という診断が出たことで「あなたのせいではない」と言われているようで、すごくホッとしました。
小学校での学級の転籍(普通級→固定級→普通級)
Q:息子さんは、小1~4まで普通級、小5で情緒障害の固定級に転籍された後、小6でまた普通級に戻られていますが、その転籍の理由を教えて下さい。
まず、通常学級から支援級への転籍ですが、長男自身の希望がありました。
それまで、家庭でのサポートと、学年全体を見る加配の先生のさり気ないフォローなどもあって、低学年では通常学級でなんとかがんばれていたのですが、転籍する前年度の小学4年生頃、ASDに加えて、LD(学習障がい/学習症)とADHDの傾向もあった長男は、急に授業内容が難しくなったり、プレ思春期に入ったクラスの子達の人間関係がより複雑になったりして、学習面でも対人関係でも、集団のペースについていけず、授業中ぼーっと無為に過ごしたり、テストで白紙回答したりすることが多くなりました。
そんな中、当時、うちの小学校には通級はなかったので、代わりに学校の裁量で「取り出し個別指導」を週1時間ほど行って頂け、手の空いている先生が長男の学習や、間に合わなかった作文や習字などの課題を一対一で丁寧に見て下さいました。そこで「おれ、人が少ないところなら集中できる!」という自信をつけられたので、「だったら、少人数の支援級のほうがいいかもね」と、本人と相談し、何度も実際に見学させて頂いた上で、翌年から支援級に転籍することになりました。
小6で通常学級に戻ったのは、主に中学受験のために加えて、うちの小学校の方針もありました。うちの小学校は、支援級の児童が通常学級の特定のクラスで、一緒に授業やクラス活動に参加する「交流学級」に積極的でした。
長男は支援級で集中できたことで、学年相応の学習内容に追いつくことができ、それまで失っていた自信を取り戻していきました。そこで、長男が大丈夫になった教科から徐々に、通常学級での授業に参加する機会を増やしていき、3学期には全教科を交流学級で落ち着いて取り組むことができたので、支援級の担任の先生から、「大丈夫になった子は、支援級を卒業してくれると助かります」と背中を押されました(年々、支援級の入級希望者が増えている実情も背景にあるようです)。
放課後デイサービスや通級、療育機関などは利用について
Q.小学校の時に放課後デイサービスや通級、療育機関などは利用されましたか?
いいえ。うちは地方在住ということもあり、長男の小学校時代には、そういった選択肢自体がかなり少なかったのです。当時、在籍校に通級指導教室の設置はなく、希望者は数年順番待ちの上、在籍校から他校に保護者が日中送迎する必要があり、現実的に利用は難しい状況でした。また、身近に気軽に通える範囲で適当な放課後等デイサービスも見当たらず、公的な支援・療育施設はかなり限られていたように思います。
ただし、近年「発達障害」という言葉の認知度や社会的なニーズが高まったこともあり、一昨年より学区の小中学校でも通級指導教室が開設され、支援級の数も増え、また、検索すれば送迎付きの放課後等デイサービスも、近隣で何件もヒットするようにもなったようです。ほんの数年で、大きく状況が変わっていることを感じます。ただ、公的な療育施設等をあまり利用できなかったとはいえ、家庭でできる範囲で療育的なことをあそびの延長で気長に続けたことや、民間の一般の塾や習い事でも内容次第で代替手段にできたこと、親の声かけや接し方の工夫、長男自身によるスクールカウンセラーの活用等でもSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)に近いことを行えたので、長男の心身の負担をかなり緩和できたと思っています。
息子さんが一番大変だった時期
Q 息子さんは高校1年生(取材時は中3)ですが、今までを振り返り、もっとも子育てが大変だったのは何歳頃でしょうか。その頃はどのようなことに特に注意されましたか?
うーん、ずーっと大変というか…今でも毎日「早くラクになりたい」と思っています(笑)。
でも、「進歩がないから」ではなく、どんな子も毎日確実に成長しているので、その子の成長と環境との関係性によって、その時その時で「”大変”の中身が、次々と変化していくから」だと思います。程度の差こそあれ、発達障害のある・なしに関わらず、いつか子どもが自立する日まで、親はずーっと大変なのでしょう。
ちなみに現在の長男は、以前に比べれば、あまり手がかからなくなりました。自分に合った中高一貫校に進学したこともあり、特別な支援を受けなくても学校でも大きなトラブルやつまづきはなく、「ただの変わり者」として、マイペースに過ごしているようです。
でも、自分でいろんなことができるようになった分、親の言うことなんて聞きませんし、本当に生意気で腹が立ちますよ。あんなに手を焼かせたクセに…!(笑)。私も少しほっとしたせいか、急に疲れが出たりで更年期の症状に悩まされたりも。育ちざかりの子ども3人分の食費と教育費もシャレになりませんし…。結局、親の悩み事はいつまで経っても尽きないのかもしれませんね。
そんな”ずっと大変”な中で思うのは、「親も完璧でなくていいし、子どもと一緒に自分を育てていけばいい」ということです。最初から自転車に上手に乗れる子がいないように、親だって、転びながら、迷いながら、沢山失敗しながら、我が子の成長に合わせて自分をアップデートしていけばいいのだと思っています。
発達障害の子どもを持つママへのメッセージ
Q. 最後に発達障がいの子を持つ、働くお母さんへのメッセージがあればよろしくお願いします。
発達障害のあるお子さんが今、元気で健康でいるのならば、それは保護者の方がものすごく努力して、一生懸命子育てしてきた証拠です。
小さな頃から、日常生活の着替えひとつ、食事ひとつが、決して「できて当たり前」のことではなかったことでしょう(私の経験上!)。
ですから、まずは、毎日の最低限のことをこなせただけでも、自分に「満点」をあげてもいいんじゃないでしょうか。お仕事や療育・サポートなどの「それ以上」のことは満点からの加点方式でいいし、親子でできなかったことがあっても、減点はナシで!
そして、お子さんと同じくらい、ご自分のことも大事に、大切に…。
【大場美鈴さん(楽々かあさん)プロフィール】
美術系の大学を卒業後、出版社で医療雑誌の編集デザイナーとして勤務し退社。実父の介護経験を経て、結婚。3人の子宝に恵まれる。長男はASDの診断とLD+ADHDの傾向がある。次男、長女はいくつか凸凹特徴があるグレーゾーン。2013年より、「楽々かあさん」として育児の傍ら日々の子育てアイデアをシェア・情報発信する個人活動を開始。「声かけ変換表」がネット上で14万シェアを獲得して拡散し、話題に。
楽々かあさん公式HPはこちらから
【著書】
<15刷重版>
「発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた 楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換」
<シリーズ累計6万部>
「発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母の毎日ラクラク笑顔になる108の子育て法」