2016.10.13
「赤ちゃんを可愛いと思えない」、そんな時代があった私が今思うこと
一人目の子どもが赤ちゃん時代。実をいうとその子を心から「かわいい」と思えることがあまりできませんでした。
妊娠中は幸せでした。
切迫流産で長く入院になったこともあり、夫も周りも必要以上に大事に扱ってくれていました。体はつらいし、流産するかもしれないという不安はありましたが、きっとおなかの子が出てきてさえくれれば、それはそれは幸せな日々が待っていて、赤ちゃんはふわふわ天使のように可愛いのであろう。私は聖母マリアみたいな表情しちゃうんだろう。そう疑わずにいました。
しかし、それが現実とは違うことを知ったのは出産したその日でした。
自分と違う得体のしれない人格がそこにいる感じ
私の出産は分娩台にいた時間こそ短いけれど、子宮口がなかなか開かず、赤ちゃんも自力で回旋できず「困難な出産」だったようです。第2子出産時にカルテを見た助産師さんに言われました。産んだ本人は初めての経験なので自分の出産が人より大変だったことに気づいていなかったのです。
母親になる多くの人が経験する「産みの苦しみ」を味わって出てきた子どもをかわいいと思えないわけがない。そう思っていました。しかし実際は「可愛い」とは違う感情でした。
うまく表現でいないのですが「大事すぎて、この子に何かあったら私はおかしくなってしまうであろうけれど、ものすごく大変なものを手に入れてしまって私はこれからどうすればいいのか」という変な気分です。「あーーー、見ているだけでなんとも愛おしい」という気持ちになることを想定していたので、まるっきり違う気分でした。
そして出産後、当日の夜。とにかく眠れない。会陰の痛み、おしっこは自力で出せず、おっぱいは張り、常に貧血状態。陣痛であんなに頑張ったのに、そのあとにこんな辛い時間が待っているとは…。
そして、よく泣く我が子。看護師さんに「かいじゅう」と言われるくらい、おっぱいを求めてよく泣く。昨日まで私の中にいたのに、出てきた子どもは私とは違う「別人格を持った新しく知り合った大事な誰か」だったのです。
赤ちゃん期は常にイライラ何かに怒っていた
退院し、自宅に戻ってからも可愛いと思えることはありませんでした。24時間常に誰かのことを心配している精神状態。静かに寝ていると息をしてるか何度も確かめ、何か異常がないか気持ちを張り詰めていました。
そしてやっぱりよく泣く。こちらの体調がすぐれないことお構いなしです。赤ちゃんだから当たり前なのですが、とにかくそこに浮かぶ言葉は「消耗」しかない。あーー、このまま放置してどこかに行ってしまいたい。そう思うことも幾度もありました。
毎日のように、子どもがいなかったキラキラした生活を思い出し、戻りたいと思っていました。また「私が赤ちゃんを可愛いと思えていないということを、夫を含めて誰にも知られてはいけない」という何かやましい事を隠しているという気持ちもありました。
なので、有名人の育児ブログに「かわいいかわいい」「生まれてありがとう」みたいな言葉が並んでいると、「ほんとなの?」と疑う気持ちと、うらやまし過ぎて、私は母性のない、母親として欠陥品なんじゃないかという、気持ちになり、私自身を落ち込ませました。
新生児期が終わってからもまだまだ続きました。おっぱいの痛み、腰痛、腱鞘炎、抜け毛。。。体調の悪さを言ったらきりがない。それに加えて、日々コントロールできない赤ちゃんの世話。
「お母さんはあなたしかいないのよ」
「赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてきたのよ」
よく感動的な言葉として使われるこの言葉の一言一言が、すべて私には棘となってささり、もっと私を辛くしました。
そう、赤ちゃん期、私は常にイライラし、常に何かに怒り、心の中は黒い闇でした。
赤ちゃんだったその子は現在5才。今の気持ちは。
今の気持ちを正直に書くと
「我が子可愛いーー!!大事すぎる!この子が今私の近くにいてくれて嬉しい!」です。
遅れてきた母性です。いつ頃からそんな気持ちが芽生えたか。はっきりしたことは曖昧です。ただそう思えるようになったのは、
・私の体調が戻った
・手ばかり掛かる赤ちゃんのお世話期を過ぎた
・コミュニケーションが取れるようになった
・二人目を産んで完璧な子育てをしたいというハードルがなくなった
などがあると思います。あと、不思議と娘の赤ちゃんの時の写真や動画をみるとあんなにイライラしていたはずなのに、写っている赤ちゃんは可愛く、私は「子どもをやさしく見守る母の顔」をしているのです。
「こんな可愛い子を育ててたの?気づかなかった!」と自分で言ってしまうくらい(笑) 不思議です。ちなみに赤ちゃんを「あーー、見てるだけで可愛い」というのは第二子の時に味わいました。これも不思議なことです。
何が言いたいかというと、「母親」と「子ども」の関係性や感情はずっと一緒ではないということ。そして、子どもを産んだ瞬間に母親はみな「聖母マリア」になれるのではないということ。
実をいうと、私と同じように、我が子が「可愛いと思えない」もしくは「思えなかった」というお母さんを何人か知っています。そのお母さんたちも「可愛いと思いたい」でもなぜかそうできないと悩んでいます。
私は、虐待死のニュースを見ると、なぜ殺してしまうのか、という強い怒りと無念の気持ちと同時に、その母親が抱えていた心の闇の部分を理解できなくもないのです。これからも、我が子との関係性は幾度となく変わっていくでしょう。ただ変わらないと思っているのは「子どもは何よりも大事であり、この子に何かがあったら私はどうにかなってしまうのであろうな」という思いです。
5歳になった娘は、もちろん口答えもしますし、イライラさせられることも多分にあります。でも、母にならなければ味わえない、人をこんなにも大事に思う気持ちを与えてくれる子供たちの存在には本当に感謝しています。
松本尚子
ライター・編集者
2010年生まれの女子、2012年生まれの男子の2児の母。主婦ときどきライター&編集者。女性向けサイトの編集者を経て、リクルートの住宅サイトでweb編集者を経験。酒好き、旅好き、美味しいもの好き。鎌倉在住。