2019.07.30
小さなわが子を抱え「働き方を模索」した日々、ママが行き着いた先とは?
子育てと仕事の両立に日々奮闘するワーキングマザーが年々増えている一方で、結婚や出産を経て仕事を離れ、「専業主婦」という道を選ぶ女性たちもいます。自ら望んで仕事を辞めた女性もいれば、家庭内や預け先の問題で退職せざるを得なかったケースもあり、彼女たちが抱える事情はそれぞれ。
しかし問題なのは、働きたいのに働けないという状況にあります。
筆者自身も結婚後、勤務していた会社を退職し、就活中に妊娠が発覚したことで、仕事から離れることを余儀なくされた母親の一人でした。現在はフリーランスのライターとして、3歳の娘を子育てしながらお仕事をさせていただいておりますが、社会復帰するまでは、かなりの試行錯誤を繰り返してきました。そこで今回は、私自身の体験を交え、産後の働き方やフリーランスとしての保活問題、夫婦にたちはだかる家事育児の分担についてご紹介します。
35歳、転職活動中に発覚したまさかの妊娠
私が結婚したのは35歳になったばかりの頃でした。そして妊娠が発覚したのが、その2ヶ月後。年齢的にも妊娠・出産ができるのか若干の不安もあったため、予想以上の急展開に驚きを隠せない一方で、妊娠できたことに心から感謝しました。
しかし仕事という面で準備不足だった私は、当時転職活動中。妊娠がわかってから1週間後に控えていた面接を辞退し、一切の転職活動を中止することになりました。
「仕事はいつからでもできるから、まずは子育てでしょ?」
受話器越しに聞こえる実家の母の声を聞きながら、すでに30代も半ばを過ぎようとしている娘に当時22歳で出産をした母の言葉が虚しく響いたのを覚えています。
仕事は社会と深く結びついているからこそ、出産を機に仕事から離れることは、社会から断絶されるような焦りが当時の私にはあったのでしょう。
「今から会社に就職できないなら、個人で、在宅でできる仕事はないだろうか?」
「そもそも私にはずっとやりたいと思ってきたことがあったんじゃないか?」
自問する日々の中で見つけたのが「書くこと」でした。ネット上ではさまざまなメディアが存在し、未経験でもライターを募集する求人も多かったため、妊娠中からウェブライターの仕事を始めることを決断。しかし、妊娠中に文章を書いているときは、正直、書くことで本格的な社会復帰をするつもりは現実的ではないと考えていました。…というのは、経験値が低い分、ライターとしての単価も安く、会社員時代と同じくらいの収入を得ること自体が難しいと感じていたからです。
その気持ちが変わったのが、出産後。どちらにせよ将来働きたいと考えているなら、書く仕事をきっかけに別の安定した仕事に変わるのもありかもしれないと考えたことがきっかけでした。
そして、出産後、8ヶ月の娘を抱えて、本格的に「書くこと」を仕事にすると決めた私は、その後大きな覚悟と決断をせまられることになるのです。
4歳までは家にいるべき。夫の言葉をのみこめない…
生後半年くらいまではとにかく慣れない育児と家事に専念する日々を送っていましたが、徐々に育児にも余裕がではじめた頃から、新しい仕事を見つけ、少しずつ仕事の幅を増やそうと努力していた時期でもありました。
しかし収入は微々たるものです。
それでも諦めず、住んでいる区の託児サービスなどを活用しながら、週2日ほど1日最大4時間の仕事時間を確保して、少しずつ仕事量を増やしていきました
そして娘が8ヶ月になる頃、思い切って夫に「娘を預けて仕事を始めたい」と打ち明けてみたのです。
夫はその時は、「まさか本気で仕事を始めるわけがない」とどこかで思っていたのでしょう。
「まだ早いんじゃない」の一言で、あっさり話題を変えられました。
その後も同じ話題を振っても、逃げられるだけ。
決着をつけるべく夫婦で話し合いの場をもうけるも、夫の口からでてきたのは「母親は4歳まで家にいるべきじゃない?」の言葉。
要するに夫は「娘を預けてまで働くことには反対」ということだったのです。
その後何度も話し合いをした結果、一向に引かない私に「好きにしたらいいよ」となかば諦めモードの夫。
私は彼の言葉を「OK」だと勝手に解釈し、1人で保活を始めるに至ります。
ただし、私の場合、フリーランスという立場であるため、そもそも認可保育園の入園は絶望的と判断していました。
そのため、認証保育園と認可外保育園に絞って、保活をスタート。見学を繰り返すなかで、奇跡的に空きがあったのが、自宅から徒歩30分以上もかかる認可外保育園でした。
金銭的にも仕事的にも辛かった認可外保育園時代
しかし、その当時、認可外保育園の高い保育料に見合う収入があったかというと、答えはもちろんノーです。
独身時代に貯めた貯金を少し切り崩しながら、なんとか預けて仕事をしている状況でした。
そのため金銭的にも「なんとか稼がないと…」という想いに突き動かされていたのですが、もう1つ、収入をなんとかしたいという理由がありました。
それが、「ちゃんとお金を稼いで、夫に認めてもらうこと」でした。
当時の私は、自分が働きたいと言いだしたこともあって、この時期は、家事・育児はすべて1人で抱え込み、夫に負担をかけてはいけないと勝手に思い込んでいました。仕事で成果を出していないのに、朝から夜遅くまで働きづめの夫に助けを求めるのは、間違いなのではないかとさえ感じていたのです。
だからこそ頑張って仕事で成果を残せるようになったら、彼も認めてくれて、いわゆる「共働き」として、家事育児も協力的になってくれるではないか…と。
もちろん、私自身もやると決めたらなんとか形にしたいという強い想いもあったため、コネなしフリーランスとして、できることはとにかく何でもやって、経験と実績を残すことに奔走しました。
仕事も徐々に広がり認可保育園に合格
その後、娘は認可外保育園に9ヶ月間通った後、家から徒歩5分圏内の環境のよい認証保育園に転園しました。
しかし認証保育園には2歳までしかいられないため、リミットはあと1年。
再び認可外保育園に戻るのか、それとも仕事を一旦やめて、幼稚園に入れるのか…。認可保育園には入れられないから、この2つしか選択肢は残されていないと考えていました。
しかしフリーランスでも認可保育園にわが子を入園させたママがいることをネットで知り、区に問い合わせたところ、担当者からは「雇用形態は関係ありません」という回答をもらったのです。(あくまで私が住んでいる区における回答内容で、それぞれの市区町村によって考え方は異なるかと思います)
その頃になると、比較的大きめの仕事に参加させていただく機会にも恵まれ、収入も増えていたので、あらためて翌年の4月に向けて認可保育園にチャレンジすることにしました。
そんなある日、意外なことに夫から8月新設の保育園が近所にできるとの情報を教えられました。
1年前、「子どもが4歳までは家にいるべき」と主張していた夫からは考えられないくらい、その時は協力的に動いてくれたことを覚えています。
どうせ落ちるだろう…、そんな諦めモードで必要書類を集め、新設校に応募したところ、なんと結果は合格。
思いがけない結果にひと安心し、保育園問題はなんとか決着がつきました。
そして私の仕事も流動的ではありながら、在宅や契約先の企業のオフィスで作業をするなど、その時々の働き方をしながら現在に至ります。
元専業主婦だからこそ夫の協力が得にくかった現実
夫にとっても妻が働いていることが日常となった現在、思い描いたような共働きの家事育児の分担ができているかといったら、やはり理想通りにいかないのが現実です。
しかも、もともと私が専業主婦として家のことの一切を請け負っていた立場だったこともあり、夫も意識をなかなか変えられなかった様子。
そして私自身も、どこかで「家事育児は自分の仕事」だと言い聞かせていた部分があったように思います。
ただ最近ようやく育児にも余裕が出てきて思うようになったのは、働いている・働いていないに関係なく、夫婦で協力して家事育児をすることはそもそも大前提として必要なのではないかということ。
母親なんだから、自分1人で完璧にやらなくてはいけないというのは、単なる呪いに過ぎないんじゃないだろうか…と。
当時、仕事を始めたばかりの頃は、なかば意地になって、すべてを抱え込んでいましたが、残念ながら夫はそんな必死な私にさえ気付かなかったようです。やってもらうのが当たり前の環境にいた夫は、妻が大変そうだからと異変を察知して、何かをしてあげようなんていう考えにも及ばなかったのかもしれません。
そもそも夫自身も仕事で疲れきっているわけだし…。そういうわけで、現在でもなかなか夫の協力は得にくい状況ではありますが、そのなかでも、本当に困ったときはきちんと声を出してお願いするようにだけはしています。
それぞれのペースで歩み出す未来でいい
今回記事を読んでいただいた読者の方のなかには、「そこまで必死に仕事を始める必要ってあるの?」と疑問を感じられた方もいらっしゃるかもしれません。ただ私自身は、現在40歳を目前にして、娘を産んだ35歳のタイミングがたまたま仕事をどうするか考えた上で、動くのにベストなタイミングだったと思っています。
なので、その人の状況や考え方によって、いつから働き出すのか、働き方やそもそも仕事をする・しないの判断は、違って当たり前なのです。
誰かの意見に振り回されることなく、自分自身が心地よくいられる環境や状況を自分のペースで作り上げることができたら、それがきっとベストではないのでしょうか。
今回ご紹介した内容は、あくまで私個人の体験にすぎませんが、子どもを産んでも、まだまだこの先には自分自身の人生が続きます。ママになっても、“働くこと”を諦めることなく、年齢を自信に変えてチャレンジできる社会に変えていくためにも、変化を恐れず、一歩踏み出す勇気を持ち続けていたいですね。
MEGURU
ライター