2022.05.10
「仕事」も「育児」も辞めたいと思ったことがあるママへ!先輩ママから伝えたいこと
今、ワーママの多くが疲れ、悩み、「辞めたい」と思う……、ほんの少し前、ほんの一瞬でも抱いていた夢と希望、どこへ行ってしまったのでしょうか。
学校を卒業し、スーツに身を固め「将来」に胸をどきどきさせた社会人1年生。それから、たぶん何年もたって。結婚をし生まれたばかりのわが子を抱いた瞬間。私たちは、人生の節目節目でその最初の一歩を踏み出す時に「夢と希望」を小さくとも抱いていたはずです。
でも現実はどうでしょう。
「可愛いわが子が生まれた瞬間」でも・・・
子育ては、生まれた次の瞬間から「現実の連続」ですね。分娩台で思わず涙を流してわが子を胸に抱いたのに、その数時間後から縫合の痛みに飛び上がったり!母乳がうまく出なくて悩んだり、退院してからも不安の連続がスタートします。
産後の数ヶ月は寝る時間もままならず、誰もが苦労します。何をどうやっても泣き止まず、途方に暮れた思い出があるでしょう。枕を投げつけて(壁にですよ!)、いい加減にしてよ!と声にならずとも叫んだ経験ありませんか? 私は実際に枕を投げて声に出して叫びましたけども。横で寝ていた夫が飛び起きて、「本当にあの時は、これが育児ノイローゼってやつかとビビった」そうですから。
とにかく健康でケガなく大きくなってくれればいい、と思っていたのに、子どもの成長と共に悩みも不安もリアルで深刻化していきます。そこに「夢や希望」はなくなってしまったのでしょうか。
仕事復帰と同時に来る「焦燥感」
では、仕事ではどうでしょう。
社会人になるのは、毎日が現実との戦いです。自分が正しくても、深々と頭を下げて謝罪する時もあるでしょう。失敗をして周囲に迷惑をかけ、死ぬほど落ち込む事もあるでしょう。
成功するためのステップを頭で理解しているのと、実際にその階段を這い上っていくのはまるで違う事でした。そうして結婚をし、出産をする。それまでニュースで見ていても「へぇ、そうなんだ」としか思っていたなかった保活がこんなに大変だったなんて、と産後の体を引きずりながら役所を往復する日々。ようやく入れた保育園では、泣いて嫌がる子どもに後ろ髪を引かれる思いで仕事場へと向かっていく……。
子どもの教育費や小さな贅沢の為に、思っていなかった仕事に就かざるを得なかった人もいるはずです。経験もスキルもあるのに、後輩に追い抜かれて失ったポジションに苛立ちや怒りを覚えるのも珍しい事ではありません。ああ、なんだろう。私たちは、子育てにも仕事にも、夢や希望を持っていたはずなのに?
「仕事と育児」両方に成果を求めたいのがワーママだけど
いいえ。断言はできないけれど、「いいえ、違うんです」「ちょっとだけ、思ってた事と違うんだけ」きっとそうなんです。
職場の条件や状況は決して良いとは言えないかもしれません。22歳の春に思い描いていた「私の働く姿」とは違うかもしれません。
「女性管理職として、ロールモデルになる」
「やりたい事を一生の仕事として大事にしていきたい!」
「起業して女性社長として成功したい」
さて、ところが。
仕事はもちろん大変でしょうが「結果」や「成果」を手にとって感じられるはずでした。ところが子育てをしながら成果を出すのは並大抵ではありません。しかも、ワーママは仕事と育児の両方で結果を求めたくなります。それなのに、仕事はままならず時短やワーママに対する「見えない重圧」は想像以上に重い。成果を得られない仕事と平行してくるのが、数字や報酬で頑張った結果をはっきりと私たちに示してくれない「子育て」の「これでいいの?」というモヤモヤです。
夢と希望はいつでもあなたのすぐ側にあるもの
それでも。たったひとつだけ言えるのは、
「子どもという存在そのものが夢と希望のかたまり」であるという事です。やっかいなアレコレもくっついてきますけど、ね。
子どもが生まれた時から持っている「将来」が、親にとっての希望の光です。
子どもは「未来への時間」を無制限に持っている将来への塊なんです。寝顔を見ると癒やされるのは、そのわが子の姿が「夢と希望をたっぷり持っている」明日へ、明後日へ、私たちがともすれば挫折しがちな「明日への希望」の象徴だからかもしれません。
いのち。
その重さと重さに比例する将来への夢や期待の大きさは、私たち親の幸せなのだと思います。親が思う通りになるように子どもをコントロールしようとするのは、間違っているのです。でも、子どもにこんな事やあんな事や「こうなったらいいな」と想像するのは、悪いわけないじゃありませんか。
だって、親は、例え子どもが親が期待していた通りにならなかったとしても、サッカー選手にならずとも東大には行かないかもしれないけど、それでも「やっぱウチの子、いいとこあるわー!」って思うんです。
どんな子であっても。
親はわが子にどこまでも期待します。冷静なふりをして、「うちはダメよ~」と言いながら、(だけど、ウチの子ってココがスゴい)なんて、密かに思う。密かに思うのが親なんです。それって悪くないんですよ。子どもに期待して何が悪いのでしょう。だって、私の子なんだから!
だから、子どもだけでなくて、あなた自身に対しても期待して下さい。私は出来るんだと、夢を持っていきましょう。現実は、あの若くて希望と共に将来を見据えていた22歳ではありません。でも、今また、違う夢や希望を持てばいいではありませんか。
希望や夢は、どんなに小さな事でも持てた時点であなたに新しいスタートをもたらしてくれる大きなモチベーションです。未来、とはまでは言わないけれど、数年後、いえ、少し先、もしかしたら明日かもしれない。今日は疲れ果ててソファでバテてるかもしれないけれど、明日には仕事も育児も「何かひとつ、新しく出来る自分がいるかもしれない」。
夢と希望。あるいは期待。
そこにいるだけで子どもが私たちに与えてくれるけれども、あるいは夫のひと言があなたを奮い立たせたり勇気づけてくれるかもしれないけれど。
でも、何よりもあなた自身が、今日疲れて寝てしまった翌朝に、「それでもちょっと頑張ろうか」ほんの少しの勇気とやる気を持ったら、夢も希望も、いつでもあなたの隣にあって、あなたをきっと明日へと、未来へと走らせてくれるはずです。
自分の居場所を子育てと会社の両方に見つけて、最大限の努力をし、一歩ずつ進んでいく。自分では必死の形相かもしれないけど、実は他の人からは「輝いて見えているかもしれない」。キラキラワーママ、それって、きっとあなたの事なんです。その他、失敗も不安も愚痴も、どうだっていい、横に捨てておきましょう。そんな日もあるけれど、その他ほとんどの日々は、私もあなたも夢と希望に満ちあふれた母であると信じちゃいましょう!
信じる者は救われる。ありふれた言い方ですが、わが子が持つ明日への希望、私やあなたが小さくても持っている夢、信じている限り、それは実現する可能性があるのですから。
※この記事は2017年5月に公開されたものです。
大橋 礼
ライター
年の差15歳兄弟の母。DTP会社勤務後、フリーで恋愛・料理・育児コンテンツを執筆中。今や社会人長男のママ仲間とは「姑と呼ばれる日」に戦々恐々しつつ、次男の小学校では若いママ友とPTAも参戦中。飲めば壮快・読めばご機嫌!本とお酒があればよし。