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2015.06.17

夫、上司に背中を押されて育休へ。Web企画ワーママを支えた言薬(前編)


淡々と話を続ける

飾らない話し方と笑顔に母親としての強さも感じます

6年前、30歳の時に結婚し、現在2歳のお子さんを育てる高橋由美子さん。

高橋さんには、自分を支え、癒してくれた言薬が2つあります。その言薬たちとは?

 

 

「生まれてからもいろいろあって、肝っ玉かあちゃんになっていくんだよ」

妊娠中に、先輩ママ友に言われた言葉だそうです。

妊娠中の検査で思わぬ診断が…

いくら検査をしても産まれてこないとわからないことがたくさんあります

産まれてこないとわからないことがたくさんあります

実は、高橋さんのお子さんには胎児のとき、障害の疑いがありました。

初期は順調だった妊婦生活、急に先生から「胎児の首の後ろあたりにむくみがみられます。他の場所だったら問題ないのですが、ここは障害を持って生まれる可能性があります」と言われたといいます。

その時、すでに中絶はできないタイミング

旦那さんと2人で家族会議を開きました。

「私は結構重い感じで切り出したんですが、主人は意外にも『どんな子が生まれても育てていくよ』と動じていませんでした。私がかなり深刻になっていただけに、肩透かしをくらった感じです(笑)。すでに胎動も始まっていましたし、いなくなることは、やはり考えられませんでした。」

障害の件は杞憂に終わり、無事元気な男の子が生まれました

今では笑って話をできることでも、当時はかなり動揺したといいます。

「検診を受けていた病院から大学病院に移って経過を見ていたのですが、心のどこかでは『どうしょう、どうしよう』と焦っていましたね。そんな時に、友人から『生まれてからもいろいろあるよ。いろいろあって、母親は肝っ玉かあちゃんになっていくんだよ』と言われたんです。

その友人の子どももその時入院をしていて、相談にのってもらっていました。『肝っ玉かあちゃん』て昔からある言葉ですよね。それがとてもかっこよく聞こえて、『みんな母になるからにはそれくらい肝を据えないとダメなんだな、よしなるぞ!』と思いました。

それ以降は動揺するより『この子にとってためになることをしよう』という気になって、何事にも冷静に対処できるようになりましたね。その気持ちがよかったのか、しばらくしてむくみが小さくなってきて元の病院に戻れました。」

 当時は出産を機に退職を考えていた

この日も忙しそうに打ち合わせ後に来てくれました

この日も忙しいそうに打ち合わせを終えたあと、取材に来てくれました

結婚を決めたあと、入籍と結婚式を待たずして転職をしたという高橋さん。毎夜遅くまで仕事をしていたといいます。

母親が専業主婦だったこともあり、結婚当初は、「結婚したら家事はきちんとこなさなきゃ!」と意気込んでいたそうですが、その激務ではこなせるはずもなく・・・。幸い旦那さんが「その時々の状況でスタイルを変えていけばいいじゃない」という考え方の人で、妊娠前から家事の分担は50:50だったといいます。

そんな状況であれば、子どもを持っても仕事を続けることに迷いはないような気がしますが、実際は産休に入る前に退職を考えていたそうです。

「私が妊娠するまで会社で育休を取った人がいなかったんです。自然と、私も辞めなきゃいけないかなと思っていたんですが、直属の上司や、人事の人に育休の取得が選択肢の1つとしてあることを助言してくもらえました。会社も女性も増えてきて、変わってきていたところだったんでしょうね」

そうして、会社初の育休取得者となり、1年1カ月の休みに入りました。

昼間は1人での育児生活がスタート

1人での育児は何かと不安になるもの

初めて1人だけで育児する時間は何かと不安になるものです。

「生まれてもいろいろある」と言われていた高橋さん。その産休、育休期間はどんな風に過ごしたのでしょうか。

産後すぐ2カ月ほど、自宅から車で40分ほどの実家で過ごしました。いくつになっても実家は居心地が良いものです。しかも、産後直後となれば、辛い体を労ってもらえて、育児も手を貸してもらえて。その反動か、自宅に戻ってから数日間は訳もなく涙が出たといいます

「多分産後うつだったんでしょうね。でも、育児が大変でそんなことも言ってられないと、数日で治ったと思います。」

一旦は落ちたものの、みごとに肝っ玉かあちゃんとして復活を遂げました。

長い育休中の生活で仕事復帰に不安も

離乳食と大人の食事作りで1日中キッチンにいるような日々

離乳食と大人の食事作りで1日中台所にいるような日々

胎児の時の心配はどこへやら、お子さんはすくすくと何事もなく成長していきます。

そんな中、別の不安が高橋さんを襲います。

いわゆる「復帰の壁」です。

「もう、曜日の感覚がないんです。時間の感覚もない。離乳食を日に3回も作って、大人の食事を3回、計6回も作って、1日中台所に立っている感覚ですよ。そして、朝ドラを日に3回見ていると(当時は「あまちゃん」だった)、世間から取り残された感がありましたね。また、少し子どもが大きくなって外出するょうになっても、行くところといえば児童館、ショッピングモール、スーパーの繰り返し。ものすごく行動範囲が狭いですし、今までとはまったく違うので、『もう元の生活に戻れないかも』と思っていました」

他にも、初の育休取得者ゆえに、社内にロールモデルがおらず、復職後のイメージが湧かないことも高橋さんの不安を掻き立てる要因でした。

しかし、「戻れない」不安を持ちながらも、育休中の生活に「物足りなさ」を感じていたといいます。

チャレンジしないで終わるのは嫌だ

視野

高橋さんのお母さんは専業主婦だったそうで、働くことに大賛成ではなかったそうです。

不安から迷いも生まれ、復職に関して旦那さんやご両親に相談したそうです。

「主人は『仕事したほうが良いんじゃない』という感じで、両親は『育児大変だし、仕事は辞めてもいいんじゃない? 決めたことには反対しないけど』と」

悩ましい会議の結果でしたが、最後は高橋さんご本人の「復帰しないで辞める、チャレンジしないで終わるのは嫌だなと思ったんです」

この決断についても「肝っ玉母ちゃん」の言葉が生きていたのではないでしょうか。

そして、2014年1月に職場復帰を果たします。 それから今に至るまで、高橋さんを支え、癒したもう一つの言薬とはどんな言葉だったのでしょうか。

 

後編に続きます。

【記事まとめ】折れそうになっても大丈夫!わたしを癒した、ことばのくすり『言薬』


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